• カテゴリ
  • 新着アイテム

    日本の野球はこの人なくして語れない、王貞治のサイン入りコレクション

    2021年12月27日
    王貞治のサイン入りコレクションを見つけよう!自分だけの博物館をWEB上に作れるサービス「ミューゼオ」には、素敵なコレクションがたくさん展示されています!様々なジャンルのコレクターが集まり、50万件を超えるコレクションが展示されています。あなたも気になるジャンルのレアなコレクションを探してみて!
    1
    File File File
    王貞治が1973年に史上3人目かつセ・リーグ初となる三冠王を達成した際の、サインボールと記念メダルです。それまで打席に立つのが怖いと語るほどのスランプに見舞われていたなか、この年は打率.355・51本塁打・114打点という好成績で終え、さらにチームはリーグ優勝と日本一を獲得。MVPも獲得した記念すべき1年となりました。サインボールには自身のサインに加え、堂々と「三冠王」の文字が輝き、まさに王の威厳が漂うコレクションです。
    2
    File File File
    王貞治のサイン入りファーストミットです。こちらはローリングスの120周年を記念し製造販売された復刻盤ミット。彼の選手時代、一塁手に転向した際に使っていたのがローリングスの「HOH DCT」というもので、それと同型のミットなのだとか。過去の復刻版が作られることは極めて稀で、ファンにとってはこのミットだけでも憧れの品。加えて直筆のサインが記されており、唯一無二のお宝になっています。
    3
    File File
    エポック社の野球カードのうち、王貞治選手のサイン入りカードです。サインは直筆で、裏面には直筆であることを証明する野球振興会理事長のサインも!世界で100枚だけカードでシリアルナンバーも入ったレアカード。世界の王たる風格を漂わせ代名詞でもある一本足打法でバットを構える姿を収めた写真は、サイン入りカードではなくても手に入れたいカードです。
    4
    File File
    王貞治直筆サイン入り、さらには実際に試合で使用されたというレアなボールです。1950~60年代頃使用されたセ・リーグ初となる公式球で、CBLとロゴマークが入っているのが特徴。王選手がサインを書いたのは60年頃とのことで、まだ巨人に入団したばかりの選手時代初期。サインも初期に書いていたものだそうで、大変貴重なのだとか。保存状態も60年以上経っているとは思えないほど良く、これからも語り継がれる大事なお宝だと伝わってきます。
    5
    File File
    当時駄菓子屋などで販売されていた、山勝の大判カードの王選手の1枚。大判カードという通り、王選手の一本足打法の姿が大きな写真に収められており、足元にはサインも。裏面には当時の最新の成績や過去の功績が書かれており、そこから推測するに1976年の後半から1977年にかけてのものと思われます。756号本塁打という偉業を成したのが1977年なので、その直前のものですね。巨人の1番としてチームも日本球界も背負って立つ勇姿が、今でも飾っておきたくなる1枚です。
    6
    File
    2020年に発売されたエポック社の「CAREER ACHIEVEMENTS」のスペシャルインサートカード。王貞治の選手時代の姿の横には金色のペンで書かれた直筆のサインが輝きます。さらにはナンバーが「1/1」。つまり世界で1枚だけしかないとびきりレアな1枚なのです!このシリーズでは日本のプロ野球界を支えたスターたちのカードが展開されていますが、なかでもON砲2人のカードの人気は別格。選手時代の勇姿と箔押しのデザイン、金色のサインは額に入れて飾りたくなりますね。
    7
    File
    王貞治のサイン入り似顔絵色紙です。入手されたのは1977年とのことで、世界に誇る偉業756号本塁打を達成した記念すべき年のもの。似顔絵はイラストレーターの針すなお氏によるもので、当時はグッズとして人気があり他の巨人の選手も多く描かれたのだそう。ユーザー様は他にも原辰徳や中畑清のものもお持ちで、どれも美品。大切に保管されてきたことがうかがえます。
    8
    File
    エポック社から発売された日本プロ野球OBクラブオフィシャルカードのうち王貞治の1枚です。スペシャルインサートカードのなかでも特にレアな1/1!また選手時代のカードは多くありますが、ソフトバンクホークスのユニフォームを着た王監督姿はなかなかお目にかかれない1枚。サインボールの一部がそのまま封入されているのも野球ファン心をくすぐるデザインです。
    9
    File
    1989年に直々に書いてもらったという王貞治のサイン入りボールです。選手を1980年で引退し、その後巨人の助監督と監督を経験。87年にはリーグ優勝も獲得しました。当時は巨人の監督を辞めた翌年で、NHKの野球解説や世界少年野球推進財団の仕事をしていたそう。東京ドーム博物館に訪れた際に書いてもらった、その時の興奮が伝わってきます。