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  • KAGA. HOSOKAWA Museum
  • 6F 🌕【閲覧4位 13030人以上】現存3点確認/『時代本歌の加賀藩 前田家伝来・薩摩系切子(切子櫛・切子簪・切子笄)』/希少な透きガラス(無色透明)/サントリー美術館の見解有り/棚橋淳二氏(江戸ガラス研究の第1人者、神戸松蔭女子大学名誉教授)の見解有り
🌕【閲覧4位 13030人以上】現存3点確認/『時代本歌の加賀藩 前田家伝来・薩摩系切子(切子櫛・切子簪・切子笄)』/希少な透きガラス(無色透明)/サントリー美術館の見解有り/棚橋淳二氏(江戸ガラス研究の第1人者、神戸松蔭女子大学名誉教授)の見解有り

🌕【閲覧4位 13030人以上】現存3点確認/『時代本歌の加賀藩 前田家伝来・薩摩系切子(切子櫛・切子簪・切子笄)』/希少な透きガラス(無色透明)/サントリー美術館の見解有り/棚橋淳二氏(江戸ガラス研究の第1人者、神戸松蔭女子大学名誉教授)の見解有り

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江戸時代後期の切子櫛・切子簪・切子笄の三点揃え。藩政期から加賀藩前田家に縁の三大薬舗の家(石川県金沢市)に伝わっていました。

この時代の加賀藩12代藩主前田斉泰の正室溶姫の父母(養母)は、第11代将軍徳川家斉と近衛ただ子ですが、近衛ただ子は、薩摩藩主・島津家の姫でした。

大富豪の家は、江戸時代に、加賀藩前田家の分家・富山藩主に、加賀藩の秘薬を伝授し、越中売薬で有名な富山藩の薬と薩摩藩の薩摩ガラスの薬瓶が結びつき、前田家と島津家は、北前船で、交流していました。

ガラス研究の第一人者・棚橋淳二さん(神戸松陰女子学院大学名誉教授)はじめ、美術館、博物館、古美術商の多方面の方々に意見を伺っても、江戸時代の切子に間違いない、という見識でした。

同じタイプの切子櫛・切子簪・切子笄は、神戸市博物館(兵庫県神戸市)と瓶泥舎・びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館(愛媛県)と当家と現存三点しか確認されていません。

いづれの有識者も、特別注文品で、市井に出てこないと言います。

また、切子櫛・切子簪・切子笄を包んでいたのは、「辻ヶ花」や「疋田」の流れを汲む「京鹿の子(絹)」です。江戸期のものと判明しています。

神戸市博物館は、手彫り切子(水溶き金剛砂と棒状工具で往復研磨する技法)による加飾があることから江戸時代の切子で間違いなく、薩摩藩、または、萩藩の切子ではないかと見ています。


江戸時代の無色透明(透きガラス)の切子は、大学の学会の研究でも、産地を特定できないのが現状です。薩摩切子は、以前は、着色したイメージがありましたが、最近は、白(無色透明)も含まれる事が分かって来ました。

薩摩切子は、現存200個未満と言われていて、その殆どは、着色です。無色透明は、数が少なく、希少で、薩摩藩主(島津家)のお姫様の品は、無色透明です。天璋院篤姫もです。

しかし、当家の切子細工は、著名なガラス・コレクターの戸澤道夫さんが著書で記した薩摩ガラスの特徴、1.たくさんの気泡を含む、2.石英の白い粉を含む、3.茶色の灰を含む、4.薩摩切子の文様(麻の葉小紋と魚子文の組み合わせ)を全て満たしていて、ガラス専門の古美術商の方も、全ての条件を満たす薩摩ガラスは、なかなか、見ないので、薩摩切子の可能性が、かなり、高いと見ています。


また、薩摩藩島津家の姫で、近衛家養女として、天璋院篤姫の調度品(徳川記念財団所蔵)に、同じ文様の無色透明の香水瓶があることも、興味深いところです。篤姫の調度品は、西郷隆盛が担当しました。

前述の手彫り切子に、最も力を入れていたのは、薩摩藩でした。薩摩切子は、主に、将軍家や大名家の贈答用として、製作されました。


🔷その後、前田家に伝来した品という事が判明しました。当初は、前田家に伝来した能面などと一緒に保管されていました。(2020年6月6日判明)

🔷この時代の加賀藩13代藩主 前田斉泰の正室は、溶姫(徳川将軍家)。溶姫の養母は、近衛寔子(実父は薩摩藩8代藩主・島津重豪)。溶姫の叔母が、天璋院篤姫(島津家→近衛家→徳川家)。加賀藩主と島津家の繋がりが強い。


🔷"Satsuma Kiriko", Japanese handmade cut-glass produced about 200 years ago.

This glass comb and two glass hair ornament was made about 200 years ago, during Edo period. It seems that they are called "Satsuma Kiriko" made in Satsuma clan, present Kagoshima pref.Its lord was Shimadu family who were No3 position during Edo period next to Tokugawa shogunate in Edo and Maeda family in Kaga clan.
Satsuma clan produced "Satsuma Kiriko" at the end of Edo period.But the revillion war destroyed their factories.Therefore "Satsuma Kiriko" disappered and only found less than 200 items.Especially "glass comb" like picture remains only 3 item in Japan now. 2 others keep at museum and one I own.
They seem that Satsuma clan presented the princess of Tokugawa shogunate in Edo or Maeda family in Kaga clan.

All " Satsuma Kiriko" were handmade by the artisan hired by Shimadu family in Satsuma clan.





#薩摩切子#ガラス#切子#芸術#美術#江戸時代#薩摩藩#島津家