Brand in-depth 第4回(前編)ファクトリエ・山田敏夫の「放っておけない」性格が工場と顧客をつなぐ

Brand in-depth 第4回(前編)ファクトリエ・山田敏夫の「放っておけない」性格が工場と顧客をつなぐ_image

インタビュー/成松 淳(ミューゼオ・スクエア編集長)
構成/高尾太恵子
写真/須田康暉

取材当日、山田敏夫さんはトレードマークの白シャツ姿で現れた。身に纏っているのは、もちろん自身のファッションブランド『ファクトリエ』の製品だ。

ファクトリエの立ち上げは2012年。きっかけは20歳の頃、グッチのパリ店で勤務していたときにフランス人の同僚から言われた一言だった。「なぜ、日本には本物のブランドがないんだ?」。とっさにブランド名を挙げて反論したが、こう返された。「それって日本製なの?」

その問いに答えるかのように、山田さんは挑戦を続けている。世界に通用するメイド・イン・ジャパンのファッションブランドを作る。そう決意し、29歳で起業してからこれまでに訪ねた工場は700を超えた。現在は優れた技術とこだわりを持つ55の工場と一緒に“語りたくなる服”を作っている。商品のタグには生産する工場の名前を入れ、販売価格は工場が決めるというユニークな仕組みも取り入れた。丈夫で長く着られるうえに、職人のこだわりを随所に感じる服は、多くの顧客に支持されている。

創業から10年が経ち、ファクトリエの未来をどう描いているのか、というのが今回の対談の趣旨なのだが、山田さんってどんな人物なの? という話からスタートする。単なる思い出話のように見えて、実はそこにはファクトリエの根幹があると気づくはずだ。

取り柄がないと感じていた少年期

成松 淳(以下、成松):まず山田さんご自身についてお聞きしたいと思います。

山田敏夫(以下、山田):最近、ちょうど振り返っていたんですよ。『目標設定練習帳』という本を知っていますか? 過去を振り返りながら400問以上の質問に答えていくものなんですけど、それを使って自己分析をしているところです。

成松:400問は気が遠くなりそう……。何か発見はありましたか?

山田:小学校の頃、社会の先生に褒められたことを思い出しました。僕には何の取り柄もなくて、水泳、剣道、バスケットボールといろんなスポーツを3年以上やりましたが、どれもレギュラーになれませんでした。かと言って、勉強もできない。テストの点数が悪すぎて、入塾できなかったくらいです。そんな僕を社会の先生だけが褒めてくれた。そこから人生が変わったように思います。

成松:僕も小学3年生のときに図工の先生に褒められたことを覚えています。些細なことが、人生の分岐点になっていることってありますよね。

山田:きっと人から認められたんだ、という実感が心の支えになっていたんだと思います。中学に入ってからは社会で50点満点中40点を取るようになって、ほかの教科も追いついてきました。算数より数学ができたっていうのもあります。僕は「AくんとBくんが別のスピードで歩いています。出会うのは何分後でしょう?」みたいな質問が分からないんですよ。でも、XとYで表す数学なら理解できる、みたいな(笑)。

成松:山田さんは物事を詳細に把握したいタイプなのかも。僕は全体をぼんやりと把握するタイプです。

山田:僕はそのぼんやりがつかめないから、ぼんやりにたどり着くために分解して整理しないといけないんです。

MuuseoSquareイメージ

成松:僕は同じことを1週間くらいぼんやり考えていたら、突然「ああ、こういうことか」と全体像が見えてきます。把握の仕方は数値分解というより、ひたすら思考し続ける感じです。

山田:結局、得意なところでやらなきゃですよね。

成松:それは本当にそう。

山田:その人の得意なところで勝ちにいくことが前提なので、数字に強い人は変にエモくならなくていいし、エモい人はそれで勝ち筋を考えたほうがいいです。

成松:そのとおりだと思います。ちょっと話が逸れてしまいましたが、中学では成績が上がってきたんですね。

山田:運動は相変わらずダメでした(笑)。3年間続けたサッカーもベンチのまま終わりました。ただサッカー部の練習で持久走だけはトップ5に入っていたので、もしかしたら可能性あるかも、と思って高校では陸上部に入ったんですけど全然ダメで(笑)。最初に出た大会では先頭に2周差をつけられて、僕がゴールするのを待っていたら次の競技の開始が遅れるからと完走さえさせてもらえませんでした。

MuuseoSquareイメージ

成松:どうしてそんなにタフなんですか?

山田:タフじゃないですよ! 自分に向いているものが何かしらあるんじゃないかと思って、必死に探していただけです。

成松:僕は苦手なものを避けて得意なほうにいく性格なので、90点取れるものもあれば10点のものもある。最終的に相殺されて成績は常に真ん中あたりでした。

山田:僕にはその勇気がないんです。90点と10点を出せる人は全く違うタイプの人ですよ。僕はすべての教科で満遍なく70点を目指す人だったので。

成松:結果として、僕は極端な逆張り主義者になりました。みんなが行く方向はまず見ないと決めて、他人が見ていない場所に突っ込んでいく。当然、当たり外れはあるけど、総取りできる可能性もある。これは完全に弱者の戦略ですけど、山田さんは強者の戦略を取れる場所を探りながら戦っている気がします。

山田:ああ、そうかもしれない。全教科70点を取ろうとしている人は、全教科90点を取ろうとするライオンに挑みにいっているようなものですからね。

成松:あまり得意ではないと分かっているのに、それでも戦いに行くところがやっぱりタフですよ。

山田:全部を捨てきれないだけですよ。でも、すべてにおいて0か100かなんてないと思うんです。絶対に感性だけの人はいなくて、感性にも論理は何割か入っている。割合が大事ですよね。僕はたぶん王道な戦い方をしながらも、自分が勝てるポジションを探しているんだと思います。

目の前にいる人の“すごい才能”を伝えたい

成松:ご実家は1917年創業の老舗洋品店だそうですね。

山田:正月は店の前にワゴンを出して、商店街に向かって「福袋いかがですかー?」って大声で叫んでいましたよ。

成松:ファッションの世界に進まれたのはご両親の影響が大きいですか?

山田:継ぐ、継がないを決める一番大事な要素は、親が楽しそうにやっているかどうかだと思うんです。それでいうと、ウチの親は楽しそうにやっていた記憶があります。成松さんはワイシャツやネクタイ、靴を新しくしたとき、どんな気分になりますか?

成松:気分が上がって、外へ出るのが楽しくなります。

山田:そうですよね。店番をしていて気づいたのは、洋服はその人の明日を変えられるということです。それがずっと残っていたんでしょうね。大人になってからも人を幸せにする手段として真っ先に浮かんだのが洋服でした。もしケーキ屋の息子だったら、「ケーキで人を幸せにする!」と言っていたかもしれない(笑)。

MuuseoSquareイメージ

成松:山田さんは様々な業種の方と交流されている印象があるんですが、それは幼い頃からいろんな大人を相手に接客をしていたからかもしれませんね。

山田:それはあるでしょうね。ある人は役所に勤めていたり、ある人は保険屋の奥さんだったり。いろんな大人と接していました。服を選んでいるお客さまがいて、でも母も父も接客していて、販売員も別の人と話をしていたら、この人を絶対に一人にさせたらダメだと思って自分から話しかけていました。たぶん、そういうのもあって昼休みに1人でご飯食べている人を放っておけないんですよ。

成松:その感覚はファクトリエのビジネスモデルに通じるところがあるのではないでしょうか? 一人の人を放置したくないという思いが、工場とお客さまと地域をつないでいるような気がします。みんなを従えたいと思っている感じでもないから、リーダーシップともちょっと違うような。

山田:自分にリーダーシップがあるとは思っていません。比叡山延暦寺を開いた伝教大師、最澄の言葉に「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」とあるように、僕はクラスメートの良さを見つけて、「コイツ、すごいんだよ!」と共有しているだけです。今、ファクトリエの財務全般を担当してくれている南は高校の同級生で、ある日話しかけたら落語をやっていると言うんです。「え、落語? すごくない?」となって、そこから仲良くなりました(笑)。僕は目の前にいる人の特徴を知りたいし、伝えたいんです。それは工場も同じで、お付き合いしている55の工場はそれぞれに特徴があります。

人生が一転したフランス留学

成松:大学時代はフランスに留学されたんですよね?

山田:はい。もう着いた初日からハプニング続きで。

成松:というと?

山田:空港からパリ市内に向かう途中でスリに遭って一文無しになりました。あるときはストレスで親知らずが痛くなって、またあるときは泥棒に入られて、しかも犯人扱いされました。降りかかる火の粉を払いながら必死に生きていました。

成松:それはすごい(笑)。学校生活はどうでしたか?

山田:授業が終わるたびに隣の人に頼んでノートをコピーさせてもらい、寮に帰ってから辞書を引いていました。ある日、コピーさせてもらったノートが全部アラビア語だったことがあって。いや、アラビア語が分からないの知ってるでしょ?って(笑)。借りる人を間違えたと思いましたね。

MuuseoSquareイメージ

成松:そのあとどういった経緯からグッチで働くようになったんですか?

山田:ずっと極貧生活を続けていたんですけど、帰国前に借金を全部返そうと思ってヴィトンやエルメス、グッチ、アルマーニなどに履歴書と志望動機書を送りました。唯一、返事をくれたのがグッチで、面接で日本人観光客相手に接客ができるとアピールしたんですけど、初めからそんなことをさせてもらえるわけもなく地下でのストック整理から始めました。

成松:それでも雇ってもらえるってすごい。

山田:洋服屋の息子として身につけたコミュニケーション力はフランス人を相手にしても通用すると思ったので、面接ではあえてスラングを入れました。南フランス弁を混ぜたり、ふざけたようなじゃれた感じで「頑張ります」と言ったり。その言い方をしたらフランス人は絶対に笑うんです。

成松:何かやってくれるかも、と思わせたわけだ。それで実際に働いてみてどうでしたか?

山田:グッチで働いて一番仲良くなったのはドアマンのファケールです。セキュリティ会社から来ている彼らはいつも一人でご飯を食べているんですよ。そこでまた僕は放っておけなくて話しかけるわけです。話してみると元々はスペインで学校の先生をしていたなんて言うから、すごいじゃんって(笑)。一昨年パリに行ったときも彼の家族と一緒に食事しました。

成松:そのスタンスは海外でも変わらないんですね。グッチにいたのはどれくらいですか?

山田:帰国前の半年間です。地下のストック整理から始めて、ラッピング係、免税手続き係を経て販売員になりました。

成松:そこで同僚に言われた「日本には本物のブランドがない」という一言が、ファクトリエ創業につながっていくわけですね。

山田:当初は具体的な事業イメージが描けなかったので、大学卒業後は営業を学ぼうと求人広告の会社で働きました。それこそ名刺集めからスタートして、3年目で営業チームのマネージャーになりました。そのあたりからファッションの世界に入りたいと思うようになって、アパレル通販サイトを運営する会社に転職したんです。倉庫のアルバイトから始めて、最後は社長室のメンバーになりました。そうやって資金を作って起業したのが2012年1月、29歳のときです。

成松:いやあ、ここまでの人生を聞いただけでも波乱万丈だなと思います。とにかく山田さんの一歩ずつ最後までやり抜く力がすごい!

DIVE INTO RELATED STORIES !

公開日:2022年7月22日

Read 0%