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マツダ ニューポーターキャブ550 1977 りんご園
ポーターは、東洋工業(マツダ)が1968年から製造・販売した軽商用車であり、シリーズにはボンネット型トラック / バンのポーターと、1969年に追加されたキャブオーバー型トラックのポーター キャブがありましたが、ポーターがそれ以前からのボンネット型軽トラック「マツダ・B360」のモデルチェンジ的な性格であるのに対し、ポーターキャブはキャブオーバーに徹した完全な新設計で、当初はエンジンも異なっていました。 ポーターは1976年で製造終了し、ポーターキャブのみが在来型の拡大設計で存続、マツダは軽乗用車のシャンテも1976年で生産中止しており、以降ポーターキャブは、マツダがラインナップする唯一の軽自動車となっていました。 ポーターキャブは1969年から1988年まで(販売は1989年まで)約20年に渡り大小のマイナーチェンジのみ受けて生産され続けました。 1969年3月に新発売されたポーターキャブのエンジンは空冷直列2気筒2ストローク360ccで、オートバイ業界から1960年代中期に撤退したブリヂストンサイクル出身のエンジン技術者によって開発されたものです。4ストロークエンジンが主流を占めた歴代マツダ製レシプロエンジン中でも、数少ない2ストロークエンジンであります。 1970年2月、マイナーチェンジが行われ、ドアウィンドウを引き違い式から巻上げ式に変更し、フロントベンチレーターを追加、外装色を白から黄色に変更しました。 1973年2月、再度マイナーチェンジが行われ、エンジンをシャンテに搭載していた水冷直列2気筒2ストローク(元はポーターキャブ用空冷エンジンをベースに水冷化したもの)に換装。そして外装色が黄色からライトグリーンになり、また丸型リアランプの形式がブレーキ・ウインカー兼用の赤一色から赤・橙の上下分割コンビネーションテールに変更され、以降、この形式が最終モデルまで採用されました。このモデルから3方開きが追加されました。 1975年1月、現行の黄色ナンバーに対応した改良を実施。これに伴い合わせホイールの標準装着も廃止されました。 1976年4月、再度マイナーチェンジが行われ、外装色がライトグリーンから再び白色に変更、内装カラーもゴールドかかった茶系に変更、ライトベゼル色も変更されました。 1977年8月、大幅なマイナーチェンジが行われ、車名もこのモデルの「ニューポーターキャブ」となり、エンジンが550ccになりました。それに伴い基本設計やスタイリングを踏襲しつつも、ボディが軽自動車の新規格に合わせ一回り拡大され、ヘッドライトベゼルも丸型から角丸四角形状に変更、前面エンブレムはマツダのCIロゴが採用されました。 このモデルから一方開きが廃止され、3方開きのみの販売となり、エンジンは量産規模の制約からマツダ自社製エンジン開発が断念され、社外の三菱自工製2G23型4ストローク2気筒SOHC「バルカンS」エンジンが搭載されることになりました。 (参照ウィキペディア) #hachette #mazda #マツダ #truck #トラック ##
懐かしの商用車 1/43 ニューポーターキャブ 550 HACHETTEsennakazu
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TEAM LOTUS 78 #6 G.NILSSON JAPAN GP FUJI INTERNATIONAL SPEEDWAY 1977
ロータス 78は、チーム・ロータスが開発したフォーミュラ1カーで、1977年・1978年シーズンに使用されました。ピーター・ライト氏、コーリン・チャップマン氏、マーティン・オジルビー(ドイツ語版)、トニー・ラッド氏によって設計され、F1界にグラウンド・エフェクト革命を捲き起こしました。 1977年の開幕戦でデビューした78は5勝を挙げ、そのシーズン最高クラスのマシンであることを証明し、1978年には他のチームも自身のバージョンを設計しようと競い始めました。しかし、このグランドエフェクト効果について、チャップマン氏とロータスの他のメンバーが真の理由を隠すために、数々の言い訳をでっち上げたので、このマシンの何がそれほど特別なのか正確にはわかっていないことでした。加えてマシン下面の外観はスカートに覆い隠されていたので細かいところが分からず、アロウズやシャドウも見よう見まねでマシンをデビューさせましたが、どちらもサイドスカートを持たない複雑なウイング構造のサイドポンツーンで効率が低く、各チームは発生メカニズムを完全に惑わされていたようです。(参照ウィキペディア) さて、このモデルの1977年日本グランプリは、1977年のF1世界選手権第17戦として、1977年10月23日に富士スピードウェイで決勝レースが開催されました。 スタート ポールシッターのアンドレッティはスタートシグナルのタイミングを見誤り、加速が鈍って大きく後退し、予選2位のジェームス・ハント選手(マクラーレン)がトップに立ち、8位に落ちたアンドレッティは2周目の100Rでジャック・ラフィット選手(リジェ)と接触し、コースアウトしてクラッシュ、リタイヤとなりました。 観客死傷事故発生 6周目、14位のジル・ヴィルヌーブ選手(フェラーリ)が1コーナー入口のブレーキングでロニー・ピーターソン選手(ティレル)のインを突いたが、右後輪に追突して宙に舞い、フェラーリのマシンはティレルを飛び越えてノーズから逆さまに落下し、側転しながらエスケープゾーンの奥に突っ込んでいきました。ヴィルヌーブは奇跡的に無傷で脱出しましたが、立ち入り禁止区域で観戦していた観客1名と警備員1名が死亡し、7名が重軽傷を負うという惨事となってしまいました。F1での観客死亡事故は1975年第4戦スペインGP以来1年半ぶり、日本の自動車レース界では初めての出来事でした。 実は、私の従兄弟がカメラマンで、出版社の依頼で1コーナーで撮影中、事故に遭遇してしまい、彼は奇跡的に無傷であったものの隣にいた方は亡くなってしまったそうです。。。従兄弟の撮った宙に舞ったヴィルヌーブのマシンが向かってくる映像が、今でも強烈な印象として私の脳裏に残っています。 結果 レースは続行され、独走するハントは全周回ラップリーダーのまま、2位以下を1分近く離して優勝しました。ハントにとってはこれがF1最後の勝利となりました。 ピットでマシンから降りたハントはやおら私服に着替え、「今夜のフライトで帰国する。渋滞にはまりたくない」と言い残して帰ってしまい、2位のロイテマンも同じ行動をとったため、表彰台には3位のドゥパイエとフェラーリのメカニックしか上がらないという締まらない幕引きとなりました。 日本勢最高位は高橋国光選手(ティレル)の9位。星野一義選手(コジマ)はタイヤのマッチングに苦しみ、2周遅れの11位に終わりました。(参照ウィキペディア) グンナー・ニルソン選手は、63周リタイヤに終わりました。 #spark #lotus #ロータス #japan #日本 #fuji #富士
6 FORMULA 1 1/43 LOTUS FORDsennakazu
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PONTIAC FIREBIRD 1977
ファイヤーバードは、ゼネラルモーターズが製造し、ポンティアックブランドで販売されていたポニーカー(スペシャルティカー)であり、シボレー・カマロの姉妹車です。 このモデルも前回に、展示しました 「PONTIAC FIREBIRD GOLD EDITION 1978」 と同様で、第2世代のファイヤーバードになります。グレードはベーシックな「エスプリ」、中級グレードの「フォーミュラ400(ボンネット上の二つのエアスクープが特徴)」、高性能エンジンやエアロパーツを装備した「トランザム」の3グレードがありました。 1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝して、黒塗りに金のアクセントを配したトランザムの特別仕様車をリリース、これがトランザム最初の記念パッケージ、かつ最初のブラック&ゴールドの特別仕様車になりました。 1977年、2回めのマイナーチェンジを行い、ヘッドランプがSAE規格の角型4灯となりました。また、ポンティアックは通常の180馬力の400cu in(6,600cc)に対し、200馬力を発生するT/A400cu inエンジンを供給、カリフォルニア仕様と高地仕様車には、ポンティアックのエンジンより高めの圧縮比と扱いやすいトルクバンドを持つオールズモビル403エンジンが搭載されました。(参照ウィキペディア) このカラーリングと、ボンネットのファイヤーバードエンブレム。ムスタングと並んで最高にカッコいいアメ車ですね! DATE: 200 CV SAE NET 6,558cc V8 FRONT 190 KM/H 19.5L/100KM $5,456 #deagostini #pontiac #ポンティアック #usa #アメリカ
AMERICAN CAR COLLECTION 1/43 FIREBIRD DEAGOSTINIsennakazu
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ダットサン サニーバン VB310 1977 カネボウ化粧品サービスカー
ダットサン サニーは、日産自動車のブランド名「ダットサン」で製造・販売された大衆車です。 ちなみに、ダットサンの由来は、日産自動車の源流である、橋本増治郎氏が設立した快進社までさかのぼり、1914年(大正3年)に完成した乗用車には、支援者であった田健治郎氏、青山禄郎氏、竹内明太郎氏のそれぞれの頭文字であるD、A、Tと、逃げるウサギのように非常に速いことのたとえである「脱兎(だっと)のごとく」にかけて、脱兎号(DAT CAR)と名づけられました。 その後、1926年(大正15年)にダット自動車製造が設立され、1930年(昭和5年)に試作車が完成し、車名を「DATの息子」の意味のDATSON(ダットソン)としました。また、DATの定義は、Durable(耐久性がある)、Attractive(魅力的な)、Trustworthy(信頼できる)、に改められました。 ダットソン号は量産化を念頭に開発されており、戸畑鋳物および日本産業の鮎川義介氏は1931年(昭和6年)にダット自動車製造を戸畑鋳物傘下に収め、1932年(昭和7年)には、DATSONの“SON”が日本語の“損”に聞こえ縁起が悪いということから、英語で同音のSUN(太陽)に変え、DATSUN(ダットサン)と改称されたとのことです。なるほど。 ダットサン サニーは、 ・初代B10型〜4代目B310型 FR駆動 ・5代目B11型 FF駆動 で区分けされ、このモデルは、1977年に発売された4代目のVB310サニーバンになります。排気量は、1200ccと1400ccの2種類ありましたが、フロントグリルの形状では、1200ccと思われます。エンジンは、全車OHV・A型エンジン搭載(1,200ccのA12A型と1,400ccのA14型)になります。 (参照ウィキペディア) 今回のダットサン サニーバンVB310は、前回のブリヂストンタイヤサービスカーに続き、カネボウ化粧品サービスカーです。 (アシェットさんには、もうちょっとひねって欲しかったのですが…) でも、新入社員の時に業務連絡車として使用していましたので、愛着がありますね。 #hachette #nissan #日産 #datsun #ダットサン ###
懐かしの商用車 1/43 サニーバン VB310 HACHETTEsennakazu
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CHEVROLET CAMARO Z28 1977
シボレー・カマロは、ゼネラルモーターズがシボレーブランドで生産・販売している車両で、名前の由来は古フランス語で友人を意味する言葉から取られました。 このモデルは、2代目カマロで、日本国内ではそのルックスから「サメカマ」の愛称で親しまれていました。 プラットフォームやエンジンなど大半のコンポーネントは初代から引き継がれたもので、典型的なスキンチェンジ(表面上の変更の域を大きく出ないモデルチェンジ)とされていました。グレードはベーシックなスポーツクーペ、ラリースポーツ、スーパースポーツ、LT、そして最高グレートであるZ28になっていました。 このZ28は、その後フロントマスクとテールのデザインをマイナーチェンジし、5マイルバンパー(大型のバンパー)を装備したモデルです。(参照ウィキペディア) カマロは、現在6代目を製造・販売していますが、私個人的には、2代目までの丸型2灯式フェイスがカマロらしくて好きですね。テレビドラマにもよく出ていましたし。 DATE: 185 CV SAE NET 5,733cc V8 FRONT 156 KM/H 18.9L/100KM $5,170 #deagostini #chevrolet #シボレー #camaro #カマロ #usa #アメリカ
AMERICAN CAR COLLECTION 1/43 CAMARO Z28 DEAGOSTINIsennakazu
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いすゞ エルフ 1977 家具屋
前回、1987年(四代目)を展示しましたが、今回は1977年(三代目)です。 このエルフは、1975年(昭和50年)に2トンクラストラックでシェアトップを奪って以来、日本の小型キャブオーバートラックの代表的存在として位置づけられています。このカラーリングを見ると『エルフ』って感じですね。 荷台には、各種家具が梱包もせずに積載されていますが、器用な方でしたら、それらしく手を加えられるのでしょうね。私は不器用なので、手を加えられた作品を是非にでも見てみたいものです。 #hachette #isuzu #いすゞ #truck #トラック
各種家具・インテリア 久米家具店 懐かしの商用車 1/43 エルフsennakazu
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ダットサン サニーバン VB310 1977 ブリヂストンタイヤサービスカー
「ひろびろサニー」「静かなサニー」の4代目サニーバンVB310。(5代目はサニーADバン)排気量1,200cc。荷台にタイヤ4本積んでます! この頃の車両は、フェンダーミラーが良く似合いますね。 #hachette #datsun #ダットサン #sunny #サニー #nissan #日産
懐かしの商用車 1/43 サニーバン VB310 HACHETTEsennakazu
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マツダ ファミリアバン 1977 桃屋サービスカー
このファミリアバンの1/43モデル化は珍しいですね。特に『桃屋ごはんですよ!』は(笑) 中の商品カートンなんかもよく出来ています。 #hachette #mazda #マツダ
懐かしの商用車 1/43 ファミリアバン HACHETTEsennakazu
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三菱 ランサーバン 事務用品店
ありそうでなかなか無かった!?三菱ランサーバン。初代ランサーはラリーで好成績を収め、走りがよい車両として人気を誇っていましたが、その車両に商用バンが用意されていたのは時代とは言え面白いですね。 その後ライトバンが減少し、現在ではトヨタ/プロボックス、日産/AD、マツダ/ファミリアなどしか残っていないようで寂しい限りです。全体的にに丸みを帯びたデザインは優しい感じです。 #hachette #mitsubishi
文具の清川 懐かしの商用車 1/43 ランサーバンsennakazu
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FORD MUSTANG COBRA Mk II 1977
アメリカンカー・コレクション最新モデル。フォードは、初代マスタングの栄光を復活させようとこのモデルを開発したが、オイルショックをきっかけに、V8エンジン140馬力という平凡な性能に落ち着いてしまったクーペ。しかしエアインテークを模したボンネット、ロアポイントスポイラー、テールゲートスポイラー、縦縞のデュアルストライプ。カッコ良さとド派手さは継続されています。 DATE: 140 CV SAE NET 4,942cc V8 FRONT 171 KM/H 15.8L/100KM $4,950 #deagostini #ford #フォード #usa #アメリカ
AMERICAN CAR COLLECTION 1/43 MUSTANG COBRA Mk II DEAGOSTINIsennakazu