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MINARDI HART M197 #21 JARNO TRULLI
#onyx #minardi #ミナルディ #hart #ハート #
21 FORMULA 1 1/43 MINARDIsennakazu
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MINARDI FORD M195B #20 PEDRO LAMY 1996
#onyx #minardi #ミナルディ #ford #フォード #
20 FORMULA 1 1/43 MINARDIsennakazu
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MERCEDES BENZ C-CLASS DTM #19 PAUL DI RESTA DTM 2007
#minichamps #mercedes #メルセデス #benz #ベンツ #germany #ドイツ
19 DTM 1/43 PERSON MOTORSPORTSsennakazu
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ENEOS SC430 SUPER GT500 #6 伊藤大輔 / BJORN KARL MIKAEL WIRDHEIM 2009
#ebbro #toyota #トヨタ #lexus #レクサス #sgt #gt500 #
6 SUPER GT500 1/43 LEXUS TEAM LEMANS ENEOSsennakazu
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XANAVI NISMO Z SUPER GT500 #1 本山哲 / RICHARD LYONS 2005
#ebbro #nissan #日産 #nismo #ニスモ #sgt #gt500
1 SUPER GT500 1/43 NISMOsennakazu
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WILLIAMS F1 TEAM BMW FW24 #5 RALF SCHUMACHER
ウィリアムズ・FW24は、ウィリアムズF1チームが2002年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、開幕戦から最終戦まで実戦投入されました。デザイナーはパトリック・ヘッド氏、ギャビン・フィッシャー氏、ジェフ・ウィリス氏。 また、ドライバーは前年からの継続起用となるラルフ・シューマッハ選手とファン・パブロ・モントーヤ選手。 2002年シーズン、BMWエンジン(パワーは900馬力に達した)とミシュランタイヤとのパッケージングは良好で、第2戦マレーシアGPではワンツーフィニッシュを達成。モントーヤが5戦連続を含む7度のポールポジションを獲得するなど、予選ではフェラーリ・F2002に拮抗する速さをみせました。イタリアGP予選ではBMWエンジンがF1史上最高(当時)の19,000回転に到達したことが発表されました。しかし、決勝レースではフェラーリとブリヂストンタイヤの安定感に見劣りし、2勝目は挙げられませんでした。 このシーズンはフェラーリ(ミハエル・シューマッハ選手、ルーベンス・バリチェロ選手)が17戦中15勝という圧倒的な成績で早々にダブルタイトルを決めてしまった年でしたが、ウィリアムズは安定して表彰台や入賞圏内でフィニッシュが続いたこともありチームは92ポイントを獲得、チャンピオンのフェラーリから大きく差をつけられましたが(フェラーリは221ポイント)、コンストラクターズランキング2位を得ました。そして、このモデルのラルフ・シューマッハ選手は、4位の結果となりました。 (参照ウィキペディア) #minichamps #williams #ウィリアムズ #bmw #uk #イギリス #germany #ドイツ #
5 MICHELIN FORMULA 1 1/43sennakazu
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DALE COYNE RACING LOLA T93 FORD #19 ALESSANDRO ZAMPEDRI INDY CAR WORLD SERIES 1994
1994年のインディカー・シーズンは、シリーズチャンピオンおよび第4戦の第78回インディ500の勝者はアル・アンサーJr.選手となりました。ルーキーオブザイヤーはジャック・ヴィルヌーヴ選手が獲得しました。このモデルのアレッサンドロ・ザンペドリ選手は、インディ500は不出場、シリーズは25位でした。 (参照ウィキペディア) #minichamps #lola #ローラ #ford #フォード #indy #インディ #usa #アメリカ
19 INDY CAR COLLECTION INDY CAR 1/43sennakazu
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FERRARI F1-75 # CARLOS SAINZ Jr 2022①
フェラーリ・F1-75は、スクーデリア・フェラーリが2022年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーです。マシン名の「F1-75」は、最初の量産車が出荷されてから75周年という節目の年にちなんで命名され、 ボディ全体は濃い赤、前後のウイングが黒で塗られており、1980〜1990年代のフェラーリのマシンを彷彿とさせています。 ドライバーは、昨年2021年同様シャルル・ルクレール選手とカルロス・サインツ選手のラインナップを継続しています。 2022年シーズンは、開幕戦バーレーンGPでルクレールがポール・トゥ・ウィン、2位にサインツが入り2019年のシンガポールGP以来の1-2フィニッシュを飾り、また、ルクレールはファステストラップも記録したことにより、自身初のハットトリックを達成しました。 その後もシーズンを通して好調を維持し、マックス・フェルスタッペン選手(レッドブル)には敵わないものの、ルクレールが2位、サインツは5位を獲得し、チームも2位に入りました。 (参照ウィキペディア) フェラーリF1の1/43モデルは、高額なLOOKSMARTなどがメインで、なかなか安価で入手しにくかったのですが、ここ最近ブラーゴの台頭によりフェラーリのコレクションが増えてきました。初期のモデルは安価なだけにクオリティやパッケージに問題がありましたが、ここ最近のモデルのクオリティには目を見張るものがあります。また、ちゃんとしたハードケースに入ったモデルもあるので飾るのにも困りません。もちろんミニチャンプス 、スパークなどと比べてしまうと、ステイの細さや車軸など気になるところはありますが、費用対効果を考えると最近のブラーゴの勝ち!?ですかね。 #bburago #ferrari #フェラーリ #italy #イタリア ##
55 FORMULA 1 1/43 SCUDERIA FERRARIsennakazu
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JAGUAR FORD COSWORTH R4 2003 A.PIZZONIA by MICHELIN
ジャガー・R4は、ジャガー・レーシングが2003年のF1世界選手権参戦用に開発し投入したフォーミュラ1カーで、デザイナーはロバート・テイラー氏。 参戦以来何度かのトラブルを経てジャガーチームは2003年シーズン、ようやく落ち着くこととなり、トニー・パーネル氏、デヴィッド・ピッチフォース氏の指揮の下、チームは結果を残すことが必要だと感じ、またその能力がそれに及ばないことも確認しあっていました。 2002年末にエディ・アーバイン選手は引退し、ペドロ・デ・ラ・ロサ選手もチームの構想外にあり、マーク・ウェバー選手とアントニオ・ピッツォニア選手が新たに加入し、チームの運営陣もドライバーと共に再構築されました。 車の改善がそれに続き、R4は古いR3に比べ、完全に再設計され再構築されました。開発の焦点はより堅牢なシャシーに合わせられ、プレシーズンの間に多くのテストが順調に行われ、実験室ではあらゆる問題が探し出されていき、搭載するコスワースCRエンジンはバンク角が72度から90度に拡げられました。 新しいR4は2003年シーズンへの準備は整っていましたが、完成車としての走行は僅かなものであり、開発の遅れにより多くの信頼性の問題が存在しました。パッケージとしての信頼性は高いものではありませんでしたが、コスワースエンジンの能力は目を見張るものがあり、問題は主にシャシーに起因するものが大きかったです。であった。 スペインGP後、チームは目立った成果を残せないピッツォニアを交代させようという意向を公然と明らかにし、マクラーレンの経験豊富なテストドライバーであるアレクサンダー・ヴルツ選手との契約を望んでいると報道されましたが、マクラーレンは新車開発にヴルツの能力が必要であるとして契約を解除しなかったため、ジャガーチームは難しい立場に置かれることとなりました。チームはピッツォニアに謝罪し、イギリスGPまで契約を継続し、イギリスGPでピッツォニアはリタイアしたものの、シーズンにおける最も説得力のあるドライブを行っていましたが、チームはレース後にミナルディのレギュラードライバーであったジャスティン・ウィルソン選手を急遽起用しました。 ウェバーは予選3位を2度記録し、7回の入賞を果たし、チームは18ポイントを得て、コンストラクターズランキング7位でシーズンを終えました。ピッツォニアはノーポイントで21位でした。 (参照ウィキペディア) ジャガーチームは、2000年から2004年の5年間の活動でしたが、そのうち、このR4のカラーリングとカウル後方のゴールドのジャガーが一番かっこいいですね! #minichamps #jaguar #ジャガー #ford #フォード #michelin #ミシュラン
15 MICHELIN EDITION FORMULA 1 1/43sennakazu
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LEGO McLAREN MP4/4 & AYRTON SENNA 693pcs
予約していた『レゴ マクラーレン MP4/4 & アイルトン・セナ』が届きました! 私の大好きなアイルトン・セナ! 封を開けるのは、もう少し余韻に浸ってからにします。。。 完成しましたら真っ先に展示をさせていただきます。
12 FORMULA 1 - McLAREN HONDAsennakazu
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ARABIAN OASIS TEAM IMPUL TOYOTA FORMULA NIPPON 2007 #19 MICHAEL KRUMM
2007年のフォーミュラ・ニッポンは、2007年3月31日 - 4月1日に富士スピードウェイで開幕し、11月17日 - 18日に鈴鹿サーキットで閉幕した全9戦で戦われました。 このモデルのミハエル・クルム選手の結果は、12ポイントで10位でした。 (参照ウィキペディア) また、最終戦鈴鹿にゲストドライバーとしてインディカーで有名なトニー・カナーン選手が出場していたとは知りませんでした。それも6位入賞とは流石です! #ebbro #formulanippon #フォーミュラニッポン #toyota #トヨタ #impul #インパル
19 FORMULA NIPPON 1/43 ARABIAN OASIS TEAM IMPULsennakazu
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PACIFIC FORD PR02 #12 ANDREA MONTERMINI 1995
パシフィック・レーシングは、かつて存在したイギリスのレーシングチームで、1994年から1995年にかけてF1世界選手権に参戦しました。 パシフィック・レーシングは1980年代よりフォーミュラ・フォードやイギリスF3選手権、国際F3000選手権などに参戦し、J.J.レート選手、デビッド・クルサード選手、エディー・アーバイン選手などのドライバーを輩出してきました。1991年にはクリスチャン・フィッティパルディ選手を擁して国際F3000選手権を制覇し、F1へのステップアップを図ってきました。 当初、1993年1月に同年開幕戦からのF1参戦表明がされ、元シェブロン・カーズ氏やザクスピードのデザイナーを歴任したポール・ブラウン氏がPR01のデザインを担当し、エンジンはマーダーチューンのイルモアV10の使用、ドライバーにはミハエル・バルテルス選手と契約が完了しており、もう1人にはジャン=マルク・グーノン選手を希望していると表明していましたが、資金が充分に集められなかったため参戦を1年見合わせることになってしまいました。 1995年は、破綻したロータスの名称権を買収して「パシフィック・チーム・ロータス」として参戦しました。日本の東急グループを率いる五島ファミリーが資本参加し、東京に「パシフィック・アクセス」なる事務所を設立してアジアのスポンサー獲得に動き、また、ベルトラン・ガショー選手も自己資金を投入して共同オーナーになるなど体制強化を図りましたが、相変わらずの資金難が続きました。 ドライバーラインナップはアンドレア・モンテルミーニ選手とペドロ・ラミー選手に決定し、ガショーは共同オーナーとしてマネージメントに専念する意向でしたが、開幕直前になってラミーがティレルとの二重契約未遂でシートを失い、結局スポンサーを持ち込めるドライバーが見つからなかったため、序盤戦と終盤戦ではガショーが自らステアリングを握ることとなってしまいました。マシンはフランク・コパック氏による吊り下げウイングを廃止したオリジナルシャシーに、フォードEDエンジンを搭載したPR02を登場させました。 参戦台数の減少により予選落ち(予備予選)がなくなり、全戦で2台揃って決勝に進みました。開幕戦でモンテルミニが完走するなど、前年からある程度の進化は見せたものの入賞はできず、シーズン途中ではガショーに代わってスポンサーマネーを持ち込んだジョバンニ・ラバッジ選手やジャン=デニス・デレトラズ選手の資金で参戦を継続し、パシフィックGPと1995年日本GPでは日本の若手有望株の一人であった山本勝巳選手を起用しようとしましたが、スーパーライセンスは発給されず断念することになりました。第9戦ドイツGPのモンテルミーニと最終戦オーストラリアGPでガショーが8位で完走したのが最高成績で、結局この年いっぱいでF1を撤退しました。 (参照ウィキペディア) 当時、東急グループがF1チームに資金を提供することが話題となり、マシンのノーズ先端には、当時の東急のロゴマークが見て取れます。 #onyx #pacific #パシフィック #ford #フォード ##
17 FORMULA 1 1/43 PACIFIC TEAM LOTUSsennakazu
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CAMEL LOTUS HONDA 99T 1987 AYRTON SENNA
ロータス99Tは、チーム・ロータスが1987年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ドライバーはアイルトン・セナ選手と中嶋悟選手です。 1987年シーズン、ロータスはエンジンをルノーV6ターボから、ホンダV6ターボに変更し、セカンドドライバーには日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟選手を迎えました。メインスポンサーはロータスにとって長年のパートナーだったJPSからキャメルに変更され、ボディーはキャメルイエローになりました。 中嶋のマシンには、ロータスとFOCAとの契約によりシーズンを通じて車載カメラが搭載されました。しかし、、当時はまだ車載カメラに関するレギュレーションが未整備だったため、他の車に比べ中嶋車のみがカメラ及びバッテリー・送信機等で数キロ車重が重くなったほか、頭上のロールバー横にカメラ一式が設置されることによりリアウイングへの空気の流れが乱されダウンフォースへの悪影響もあり、中嶋にとってかなりのハンデとなりました。 (参照ウィキペディア) 1987年シーズンは、セナのドライブにより、モナコGPとアメリカGPで2勝を記録しました。また、このシーズンの最高の思い出は、イギリスGPでは、セナが3位、中嶋が4位に入賞し、1位のナイジェル・マンセルと2位のネルソン・ピケのウィリアムズ勢とともにホンダエンジンの1-2-3-4フィニッシュを成し遂げました! 夜中に歓喜の声をあげて怒られました。。 この年のセナの戦績は、57ポイントで3位でした。また中嶋は、16戦中4回の入賞で7ポイントで12位でした。 #minichamps #lotus #ロータス #honda #ホンダ #ayrtonsenna #アイルトンセナ #uk #イギリス
12 15 YEARS OF THE INSTITUTE AYRTON SENNA EDITION 43 NO.31 FORMULA 1 1/43sennakazu
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AUDI D4 DTM DTM 2005 C.ABT
2005年のDTMは、AUDI、MERCEDES BENZ、OPELの3メーカー、9チーム、20台が参戦、全11戦を戦いました。 この年のドライバーには、トム・クリステンセン、ミカ・ハッキネン、ジャン・アレジ、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、アラン・マクニッシュ、ベルント・シュナイダーなど、ル・マンやF1で名を馳せた選手が数多く参戦しています。調べていてビックリしました。 このモデルのクリスチャン・アブト選手の成績は、9位。コンストラクターズは、6位でした。ちなみに、マニファクチャラーは、メルセデス ベンツでした。 (参照ウィキペディア) #minichamps #audi #アウディ #dtm #germany #ドイツ
14 DTM 1/43 AUDI SPORTTEAM JOEST RACINGsennakazu
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SPORTPESA RACING POINT TEAM MERCEDES RP19 LANCE STROLL 2019
昨年、フォース・インディアとしてスタートした前半戦は深刻な資金難によりチームの存続が危ぶまれましたが、夏にランス・ストロールの父で実業家のローレンス・ストロールが率いるコンソーシアムによってチームは救済され、レーシング・ポイントとして再出発したことで資金難は脱しました。が、マシン開発は思うようにいかず、また前年のフォース・インディア VJM11のパーツをいくつか使用しなければならず、前途多難なスタートが予想されました。 パワーユニットは、フォース・インディア時代からのスポンサーであるBWTがメルセデス製パワーユニットのネーミングライツ契約を結び「BWTメルセデス」名となりました。 ドライバーはセルジオ・ペレス選手が残留し、ウィリアムズからランス・ストロール選手が移籍をしました。 シーズン前半戦は、資金難の影響は否めず、マシンの戦闘力に苦しむこととなりましたが、中盤ストロール選手が4位に入賞を果たしてから徐々に調子が上がり始め、最終的には、ペレス選手10位、ストロール選手15位、コンストラクターズ7位でシーズンを終えました。 (参照ウィキペディア) 前年のカラーリングは、ピンクにホワイトでしたが、同年は、新タイトルスポンサー「スポーツペサ」のコーポレットカラーであるブルーが増えました。3色の配置は、絶妙なバランスで、派手なピンクが引き締まりましたね。 また車体に合わせたストロール選手のピンクヘルメットが気に入り、強いペレス選手よりこちらのモデルを選びました。 #minichamps #racingpoint #レーシングポイント #mercedes #メルセデス #bwt
18 FORMULA 1 1/43 SPORTPESA RACING POINT TEAMsennakazu