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LIGIER JS17 #25 JEAN PIERRE JARIER LONG BEACH GP 1981
#spark #ligier #リジェ #matra #マトラ #france #フランス #usa #アメリカ #formula1 #フォーミュラ1
25 FORMULA 1 1/43 LIGIER TEAMsennakazu
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LIGIER JS5 #26 JACQUES LAFFITE BELGIUM GP 1976
#spark #ligier #リジェ #matra #マトラ #france #フランス #belgium #ベルギー #formula1 #フォーミュラ1
26 FORMULA 1 1/43 LIGIER TEAMsennakazu
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MATRA MS120B #21 JEAN PIERRE BELTOISE FRENCH GP 1971
#spark #matra #マトラ #france #フランス #formula1 #フォーミュラ1
21 FORMULA 1 1/43 MATRA AUTOMOBILEsennakazu
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BRABHAM BT11A #7 FRANK GARDNER TASMAN SERIES 2nd LEVIN GP 1965
ブラバム・BT11は、ブラバムが開発したフォーミュラ1カーで、デザイナーはロン・トーラナック氏。1964年から1968年まで使用されました。 なお、このモデルのタスマンシリーズ (Tasman Series) は、1964年から1975年にかけてオーストラリアとニュージーランドで開催されていたフォーミュラカーの選手権レースです。「タスマンカップ」「タスマンチャンピオンシップ」とも呼ばれていました。 #spark #brabham #ブラバム #uk #イギリス ###
7 FORMULA 1 1/43 BRABHAM RACING ORGANIZATIONsennakazu
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MATRA MS1 F3 #54 ERIC OFFENSTADT TROPHEE D’AUVERGNE 1965
マトラMS1 ( Matra-Sports-1の略称) は、フォーミュラ 3に出場するために 1965年に製造されたマトラ初のオープンホイール フォーミュラ レーシングカーです。派生モデルであるMS2と合わせて5 つのレースで優勝し、ジャンピエール・ベルトワーズ選手をフランス F3 チャンピオンに導いてくれました。 MS1 は1965 年 5 月にモンテカルロに初登場し、マトラ スポーツから 2 台の車両がエントリーし、ジャン・ピエール・ジョソー選手と、このモデルのエリック・オフェンシュタット選手が運転しました。ジョソーは15位で、オフェンシュタットは完走できませんでした。その後、MS1とMS2は両方とも定期的にF3イベントに出場し、 7月のランスで初勝利を挙げ、シーズンの終わりにはジャンピエール・ベルトワーズ選手が3勝、ジョソーが2勝を獲得し、F3チャンピオン・ド・デでも優勝しました。フランス・ベルトワーズとジョソーがそれぞれ優勝と準優勝となりました。 その後、車両は引退し、 1966 年にマトラ MS5が導入されました。 (参照ウィキペディア) #spark #matra #マトラ #france #フランス #formula3 #
54 FORMULA 3 1/43 MATRA SPORTSsennakazu
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LOLA LAMBORGHINI LC89 #30 PHILIPPE ALLIOT 6th SPAIN GP 1989
ローラ・LC89は、ラルースが1989年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーで、ローラの創設者、エリック・ブロードレイ氏が設計しました。エンジンは元フェラーリの技術者であったマウロ・フォルギエリ氏が開発したランボルギーニ3512を搭載しており、LC89は同年のF1マシン中最良のハンドリングを持つマシンの1台として見なされました。なお、LC89は1990年の序盤2レースでも使用されました。 1989年シーズン、ランボルギーニ製V12エンジンを搭載したLC89は第3戦のモナコグランプリでデビューしました。空力特性に優れエンジンも600 bhp (447 kW; 608 PS)の出力を発揮するなど良好なパフォーマンスを示してはいましたが、信頼性には欠けていました。 ドライバーは、フィリップ・アリオー選手とヤニック・ダルマス選手の2台体制で発進しましたが、ダルマスは4戦連続で予選落ちと不振に陥り、チームは休養という形で彼を降板させました。後任として第7戦フランスGPと第8戦イギリスGPではルーキーのエリック・ベルナール選手、第9戦ドイツGP以降はミケーレ・アルボレート選手がそれぞれドライブをしました。最高位はこのモデルの第14戦スペインGPでアリオーが記録した6位で、1ポイントを獲得。これがLC89の獲得した唯一のポイントになりました。5度のF1優勝経験のあるアルボレートでしたが、加入2戦目の第10戦ハンガリーGPで縁石を超えた際に肋骨を骨折、身体コンデションが落ちたため第14戦スペインGPと第16戦オーストラリアGPで予備予選不通過、第15戦日本GPで予選落ちと結果を残せず、短い在籍で翌年からアロウズへと移籍しました。 LC89は改良が施され、LC89Bとして最終戦終了後から1990年開幕までのテストで使用されました。ラルースへの移籍加入が決まり、12月に行われたエストリル合同テストで初めてLC89Bに乗った鈴木亜久里選手は、前シーズンのザクスピードのマシンが不作だったこともあり、LC89への好印象を感じ取っていました。 1990年シーズン、新車の完成までの間、1990年の序盤2戦でも実戦使用され、1990年アメリカグランプリでエリック・ベルナール選手が8位完走、鈴木亜久里選手もリタイヤするまで7位を走行しました。 そして第3戦サンマリノGPからローラ・LC90が投入されました。 (参照ウィキペディア) #spark #lola #ローラ #lamborghini #ランボルギーニ #spain #スペイン
30 FORMULA 1 1/43 LOLA LAMBORGHINIsennakazu
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MATRA MS5 #44 JEAN-PIERRE BELTOISE WINNER MONACO GP F3 1966
マトラ・MS5は、マトラが製作したフォーミュラ3カーで、1965年〜1967年フランスF3選手権、1966年〜1967年ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権、1966年〜1967年F1世界選手権にそれぞれ投入されました。 MS5はマトラが製作した最後のF3カーで、基になったのはテストマシンのMS1でした。モナコでのF3レースの前に初めの2台が完成し、1965年に5台が製作され、その内数台が1969年まで使用されました。 マトラにとって、フランス国内F3選手権は絶対的な優先順位を持っており、1965年はフランスF3選手権でジャン=ピエール・ベルトワーズ選手がチームメイトのジャン=ピエール・ジョッソー選手を抑えてタイトルを獲得しました。 翌1966年はジョニー・セルボ=ギャバン選手がタイトルを獲得、このモデルのベルトワーズはモナコで優勝しました。 1967年は新しい2名のドライバー、アンリ・ペスカロロ選手とジャン=ピエール・ジャブイーユ選手が加入し、モナコとルーアンのレースで優勝、タイトルはペスカロロが獲得しました。 シーズンが終わるとチームは解体し、ファクトリーマシンはフランスのプライベートチームが購入しました。 (参照ウィキペディア) #spark #matra #マトラ #monaco #モナコ #france #フランス
44 F3 1/43 MATRA SPORTSsennakazu
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TOYOTA TS050 HYBRID TOYOTA GAZOO RACING #8 WINNER 24H LE MANS 2019
トヨタ・TS050 HYBRIDは、トヨタ自動車(トヨタ・モータースポーツ)が2016年のFIA 世界耐久選手権 (WEC) 参戦用に開発したプロトタイプで、トヨタ・TS040 HYBRIDの後継モデルにあたります。 トヨタのル・マン24時間レース初参戦から33年目にして初のル・マン総合優勝車であり、日本車としてもマツダ・787B以来の優勝車となりました。 トヨタは2014年にTS040を投入してWECのチャンピオンに輝きましたが、2015年は資金を大量投入したポルシェ・アウディの競争レベルから取り残されたため、2016年に向けて開発計画の見直しを迫られました。 2015年の第3戦ル・マン24時間レースの頃には新車開発を決断し、開発リーダーの村田久武氏のもと、約10カ月という短い期間でTS050を開発、2016年ル・マン24時間レースの初制覇を目標設定として進めて来ました。 前後輪にモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) を搭載する四輪ハイブリッド方式は変わりませんが、パワートレイン関連は一新され、燃料流量と燃料の総エネルギー量が約7.5パーセント削減される新レギュレーションに対応し、エンジンは3,700 ccのV8自然吸気 (NA) から、2,400 ccのV6直噴ツインターボへ変更されました。 このエンジンはトヨタの東富士研究所で開発され、F1のパワーユニット同様副燃焼室(プレチャンバー)技術が採用されており、蓄電装置は充放電のレスポンスに優れるスーパーキャパシタから、蓄電容量の大きいハイパワー型リチウムイオン電池に変更され、ル・マン1周あたりのエネルギー放出量では4段階のうち最大の8メガジュール (MJ) を選択。本来、これらの技術は2017年以降に順次投入される予定でした。 トヨタは2015年より「TOYOTA GAZOO Racing」の統一ブランドでモータースポーツに参戦することを発表していたため、カラーリングもTS030以来の白×青パターンに代わり、GAZOO Racingの白×赤×黒パターンにイメージチェンジを行いました。 2016年シーズン、第3戦ル・マン24時間レース決勝はトヨタの2台とポルシェ・919(2号車)がスプリントレース並みの接戦を続けましたが、ポルシェより1周分多く周回するトヨタが、最終盤で計算上ピット一回分のマージンを稼いでいましたが、しかし終盤、プッシュしていたトヨタ6号車の小林可夢偉選手がスピンして脱落。最後の30分でポルシェ2号車がピットインし、トヨタ5号車が1分半のリードを保ち栄光のチェッカーを目指しましたが、残り6分、5号車の中嶋一貴選手から“I have no power!”と無線が入り、200 km以上の速度を出すことが出来なくなってしまう。残り4分30秒の時点でポルシェ2号車とのギャップは37.580秒に迫っており、トヨタ陣営はマシンをピットに入れるかコースに残すか迫られ、トヨタはマシンをコースに残すことを決断し、マシンの再起動を試みましたが、ピット前に停車した数秒後にポルシェ2号車が通過し、トヨタ5号車は首位から脱落しました。結果、レースの大半をリードしたにもかかわらずポイントを獲得することは出来ませんでした。 トラブルの原因はエンジン左バンクのコンプレッサーとインタークーラーをつなぐカーボン製のパイプが脱落し、過給圧が低下したためと判明、この部品は17,000 kmのテストをパスし、レース前に新品に交換していたにもかかわらず、問題が発生してしまいました。 2017シーズン、第3戦ル・マンでは練習走行、予選、決勝から優れたペースを見せ、特に予選では小林可夢偉選手が従来のコースレコードを2秒縮めるという成果をあげました。決勝でも前半を1-2体制で走り続けましたが、8時間ほどで2位の8号車はトラブルにより長期ピットイン。1位の7号車は、10時間経過後の夜間のセーフティカー走行中にピット出口の赤信号で待機していたところ、マーシャルと同じ黒・オレンジ色のレーシングスーツを着たアルガルヴェ・プロ・レーシングの地元ドライバー、ヴァンサン・キャピレール(フランス語版)が駆け寄ってきて親指を立ててエールを送った。しかしこれを搭乗していた小林が発進の合図と勘違いし、慌ててピットが無線で小林を制止。この結果想定していない手順で発進してしまい、クラッチを破損。しかもこのトラブルの発生は、セーフティーカー走行が終了したホームストレート上でスローダウンしたことにより発覚、結果ピットには還れずリタイアとなってしまいました。残った9号車も、オープニングラップでバイコレスが落下させたパーツで右カウルを破損したり、ドアが開いてしまうなどのトラブルに見舞われており、それでも7号車のリタイア時にはトヨタ勢最上位となっていたものの、直後にホームストレート上でLMP2の追突を受け、右リアをバースト。ズルズルと這う様に走りながらピットへの帰還を試みましたが、ピット進入口でわずかに届かずリタイアとなってしまいました。 この年のル・マンは結局、先にトラブルに見舞われた8号車が最後まで生き残り、総合9位(クラス2位)で終わりましたが、総合3位でフィニッシュしたネルソン・ピケJr.選手、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン選手、マティアス・ベシェ選手がドライブを担当したLMP2クラスの13号車バイヨン・レベリオンがレース中に違反行為をしたため失格処分となり、総合8位に繰り上がりました。このレース後、現地に訪れていたトヨタ自動車社長の豊田章男氏は、ドライバーに「思い切り走らせてあげられなくてごめん」と謝罪する声明を出す一方、チームを「クルマを速くするだけではルマンには勝てないんだ! 我々には“強さ”がない! 強いチームにはなれていない!」と厳しく叱責しました。 2018年〜2019年の変則的なスケジュールで行ったシーズン、2度のル・マンを行うこととなったが、2018年6月の第2戦ル・マンでは、中嶋一貴選手が2014年以来2度目のポールポジションを獲得。決勝ではトヨタはライバルより1ラップ2秒以上速く走り、終始レースを支配しました。8号車は一時7号車にトップを奪われ、ペナルティで2分以上遅れましたが、その後フェルナンド・アロンソ選手の鬼神のような速さや黄旗のタイミングなどもあり、8号車がトップに返り咲きました。また小林可夢偉選手がピットインし忘れてガス欠の危機に陥いりましたが、徹底した対トラブル訓練により事なきを得ました。最後は中嶋と小林がランデブー走行でチェッカーを受け、トヨタは30年越しの悲願の総合優勝を果たしました。日本車としてのル・マン総合優勝はマツダ・787に次ぐ2例目、日本人は荒聖治選手に次ぐ3例目ですが、日本車と日本人の組み合わせでの総合優勝は史上初で、日本車又は日本人の1-2フィニッシュもまた史上初となりました。 なおレース展開やレギュレーションの違いもあって一概に比較はできないが、8号車の記録した周回数388は、TS050が戦ってきたポルシェ・919ハイブリッドの2016年の384周、2017年の367周を凌ぐ数字であり、トヨタがトヨタ・TS010で参戦した1991年以降では2010年のアウディ・R15 TDIによる397周、2015年のポルシェ・919ハイブリッドの395周に次ぐ三番目に多い周回数になりました。 このモデルである2019年6月の最終戦となる第8戦ル・マンでは、7号車がポールポジションを獲得したが、コース上でスピンしたマシンと衝突してしまい、モノコックの交換を強いられました。 決勝でも7号車が終始トップを走っていたものの、残り1時間で右リヤタイヤがパンク。しかもそのタイヤ交換のためのピットインで、誤って右リヤではなく右フロントタイヤを交換するミスを犯してしまい、これはモノコック交換時の配線ミスが要因でした。そのため再度のピットインが必要となり、結果として大半のリードを築いていたにもかかわらず8号車に逆転を許してしまい、最終的に前年同様に8号車がトップでゴールし2連覇を達成、同時に同車を駆るセバスチャン・ブエミ選手/中嶋一貴選手/フェルナンド・アロンソ選手組が2018 - 2019年のシリーズチャンピオンを獲得しました。これによりブエミは2回目、中嶋とアロンソは初のシリーズチャンピオンとなりました。 2019年〜2020年シーズンは、秋に開幕し翌年夏のル・マンで閉幕することになりました。 しかしコロナ禍のため2020年6月開催が9月に延期され、尚且つ無観客で行われた第7戦ル・マン24時間レースは、7号車がポールポジションを獲得。8号車は3番手からスタートしました。7号車のスタートを担当したマイク・コンウェイ選手は、3番手からスタートした8号車が2番手からスタートした1号車レベリオンとの2位争いをしている間に後続とのマージンを広げていき、8号車は1号車レベリオンをかわし2位へ浮上しましたが、1時間が経過したところで左リアタイヤのパンクに見舞われピットインしたため4位へ後退したものの、その後レベリオン勢をコース上で交わし2位へ復帰しました。 その後、2台のバトルは続き、ピットインロスやセーフティーカーのピットタイミングなどで8号車が首位に立ちますが、7時間が経過したところで8号車がブレーキ温度上昇のトラブルに見舞われ、再び7号車が首位に立ち、8号車は3位でコースに復帰しました。8号車は前を行く1号車レベリオンをオーバーテイクし、再びトヨタが1−2体制を築きましたが、しかし12時間が経過した頃、小林がドライブしていた7号車が排気マニホールドの破損による出力低下に見舞われ修復作業に30分を要し、3位の3号車レベリオンから4周遅れの4位でコースに復帰しました。 そして、2位以下に十分な差を広げた8号車がペースをコントロールしながら周回を重ねていき、最終的には差が5周まで広げていきました。 一方の7号車はレース復帰後追い上げ続け、ライバルの3号車レベリオンが残り1時間でクラッチトラブルによりガレージで修復作業に時間を要したことで3位に浮上、2位の1号車レベリオンから1周遅れでの3位表彰台を獲得しました。 この結果、8号車がル・マン3連覇を達成。これによりTS050で3回目のル・マン優勝となり、同時にTS050にとって最後のル・マンとなりました。また、この優勝により、トヨタが本年度のチームタイトルを獲得しました。 #spark #toyota #トヨタ #lemans #ルマン #france #フランス #
8 LE MANS 1/43 TOYOTA GAZOO RACINGsennakazu
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TOYOTA TS030 HYBRID #8 TOYOTA RACING LE MANS 2012
トヨタ・TS030 HYBRIDは、トヨタ自動車(TMG)が2012年のル・マン24時間レースおよびFIA 世界耐久選手権(WEC)参戦用に開発したプロトタイプです。 TS030 HYBRIDはトヨタF1チームの活動母体であったドイツのTMG(Toyota Motorsport GMbH、現TOYOTA GAZOO Racing Europe)を拠点として開発されました。名称は1990年代にル・マンに参戦していたTS010、TS020の実質的な後継機という位置づけであり「TS」は「TOYOTA Sport」の頭文字であるとされています。 最大のポイントは、トヨタのプロトタイプレーシングカーとしては初のハイブリッドカーとなっている点で、このパワートレインは、トヨタの量産車向けのハイブリッドシステム(Toyota Hybrid System、THS)の開発チームの協力を得てトヨタ東富士研究所のモータースポーツ部が開発したもので、「THS-R (TOYOTA Hybrid System - Racing)」と命名されています。 エンジンはTMGがレベリオン・レーシングに供給しているRV8K-LMとは異なる、新設計の3.4 L・V8自然吸気ガソリンエンジンを搭載し、これにバッテリーではなく、日清紡ホールディングスと共同開発した電気二重層キャパシタ (EDLC) を組み合わせるシステムとなっており、キャパシタはコクピット内部の助手席の位置に搭載されています。 エネルギーの回生と力行(駆動)を行うモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) は、リアのギアボックス内部にデンソー製を搭載しており、また、設計段階では選手権のレギュレーションが確定していなかったため、フロントにもアイシンAW(現:アイシン)製のMGUを搭載していました。 しかしその後「回生は前後いずれかの2輪のみ、放出も回生と同軸で行うこと」と決められたため、後輪での回生/力行を選択しました。同じくハイブリッドプロトタイプで前輪をモーター駆動するアウディ・R18 e-tron クアトロと違い、モーター使用制限速度(120 km/h以上)は定められていませんでした。 シェイクダウン時とレースデビュー時では、フロントライトの形状やフロント周りのエアロデザインが変更されています。また、ボディカラーも赤と白の2色から「トヨタ・ハイブリッドブルー」と呼ばれる青と白の2色へイメージチェンジを行いました。 エアロパッケージはル・マンではロードラッグ仕様で、その他のレースではハイダウンフォース仕様を装備しており、レギュレーションのリアフェンダーの解釈を拡大して、リアウィングの両脇に小型のウィングレットを追加したのが特徴です。 初年度の2012年は、アレクサンダー・ブルツ選手、ニコラ・ラピエール選手、中嶋一貴選手の3名がレギュラードライバーとして起用されるほか、ジュニアドライバーとしてアンドレア・カルダレッリ選手と契約を結びました。ル・マンでは2台目のドライバーとしてアンソニー・デビッドソン選手、石浦宏明選手、セバスチャン・ブエミ選手の3名が加わる予定でしたが、石浦がテスト時に背中を痛めたことからステファン・サラザン選手に交代をしました。チームはフランスのオレカをパートナーにした混合編成となりました。 デビュー戦となったWEC第3戦のル・マン24時間レースでは予選から速さを見せ、決勝も順調に2、3位を走行し一時トップを走行するアウディ1号車をオーバーテイクする健闘を見せるも、直後に8号車が周回遅れのフェラーリ・458イタリアに接触され宙を舞う大クラッシュを喫してリタイア、その際、運転していたデビッドソンが脊柱を損傷してしまいました。 もう一台の7号車は、セーフティーカーラン後のリスタート直後に中嶋のミスにより周回遅れの日産・デルタウイングと接触し、パンクとリアカウルの破損を負い、修復後も走行を続けましたが、スタートから約10時間半にエンジントラブルが発生し、134周を消化したところでリタイアとなってしまいました。 WEC初年度のトヨタ・レーシングは、ル・マンからの6戦中3度の優勝、3回のポールポジションと4回のファステストラップを記録し、ドライバーズチャンピオンシップでは6戦全てに参戦したブルツとラピエールが3位を獲得しました。 (参照ウィキペディア) #spark #toyota #トヨタ #lemans #ルマン #france #フランス #
8 LE MANS 1/43 TOYOTA RACINGsennakazu
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LOTUS 102D #11 MIKA HAKKINEN 6th MEXICO GP 1992
このモデルのロータス・102Dは、1992年シーズンに向け、エンジンを前年のジャッド・EV型V8からフォード・コスワース・HBエンジン(カスタマースペックのシリーズⅤ)に変更し、カラーリングは1960年代のロータス黄金期を思わせるブリティッシュグリーンとイエローの配色となりました。 ドライバーは前年からのミカ・ハッキネン選手が継続で、前年スポット参戦だったジョニー・ハーバート選手が復帰しました。ハーバートは第4戦まで、ハッキネンは第5戦まで102Dを使用し、以後は107にスイッチされました。 シーズンを通して相変わらず低迷が続いていましたが、このモデルのハッキネンは、シーズン5位、チームは8位の結果でした。(参照ウィキペディア) #spark #lotus #ロータス #ford #フォード #uk #イギリス ##
11 FORMULA 1 1/43 TEAM LOTUSsennakazu
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LOTUS 102B #11 MIKA HAKKINEN 5th SAN MARINO GP 1991
ロータス・102は、チーム・ロータスが1990年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、フランク・ダーニー氏らが設計し、ランボルギーニV12エンジン搭載の102は、1990年の開幕戦から全16戦に投入されました。翌年1991年はジャッドV8エンジン搭載の102B、1992年序盤戦はフォードHB V8エンジン搭載の102Dを使用しました。計2年間と3年目の途中まで使用され、テスト走行を含めると4社のエンジンを搭載しました。 1991年シーズン開幕前、ロータスは資金問題によりスタッフのレイオフが行われるなど参戦できるかどうかぎりぎりの状態であり、前年使用した102を車両規則に合わせて修正し、ジャッド・EV型V8エンジンを搭載した102Bを使用することになりました。 メインスポンサーのキャメルを失ったため、カラーリングはキャメルイエローからホワイトとグリーンのツートンとなりました。ピーター・コリンズ氏の発案により、102Bからステアリングにロータス伝統の赤いバックスキンが使用され、この年から、タミヤ(田宮模型)やコマツなどの日本企業のスポンサーが開始されました。 当初の予定では、1991年シーズン用のマシンとして103が用意されるはずでしたが、103はティレル・019のようなハイノーズと横置きギヤボックスを搭載するマシンであったため、財政難のためにモックアップの製作しかできませんでした。 テクニカルディレクターには、フェラーリから移籍したエンリケ・スカラブローニ氏を迎え、チーフデザイナーはフランク・コパック氏が務めた。ドライバーは11号車をミカ・ハッキネン選手、12号車をジュリアン・ベイリー選手がドライブしましたが、第5戦カナダGPからはスポンサー資金が終了したベイリーに代わりジョニー・ハーバート選手が全日本F3000選手権と掛け持ち参戦となり、全日本F3000の日程と重複した4レースでは12号車をミハエル・バルテルス選手がドライブしました。成績はコンストラクターズ10位(3ポイント)、最高位は、このモデルの仕様でもある第3戦サンマリノGPで記録したハッキネンの5位でした。(参照ウィキペディア) #spark #lotus #ロータス #uk #イギリス ##
11 FORMULA 1 1/43 LOTUSsennakazu
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TYRRELL 008 #3 DIDIER PIRONI 5th GERMAN GP 1978
ティレル・008は、ティレルが1978年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カーで、ディディエ・ピローニ選手とパトリック・デパイユ選手のフランス人コンビがドライブしました。 このモデルは、モーリス・フィリップが設計し、6輪車のティレル・P34に代わって投入され、アルミニウム製のモノコックに、V型8気筒のコスワース DFVを搭載していました。 1978年シーズンは、開幕戦のアルゼンチングランプリでデビューし、デパイユは予選10位、決勝3位という結果でした。次戦のブラジルではリタイアしましたが、続く3戦で連続して表彰台を獲得、南アフリカで2位、アメリカで3位、モナコではシーズンの予選最高位となる5位からスタートし、自身の初勝利を挙げ、ポイントランキングのトップに立ちました。その後はリタイアが多く低迷を続けますが、オーストリアの2位を含む3戦でポイントを挙げました。 しかし、全16戦中8戦でリタイアと成り、008は信頼性が問題となりました。 ピローニは、シーズン全体では5回のポイント獲得となり、最高位は5位でモナコとドイツの2回でした。 チームは合計38ポイントを獲得し、ランキングは4位となりました。デパイユは34ポイントでドライバーズランキング5位、ピローニは7ポイントで15位でした。 (参照ウィキペディア) ティレルは、6輪車のティレル・P34が有名ですが、私はこのモデルの008が好きで最近やっと安価で手に入れることが出来ました。特に「FIRST NATIONAL CITY TRAVELERS CHECKS」と細かく書かれた文字が新鮮で、カラーリングとマッチしてとても気に入っています。 #spark #tyrrell #ティレル #たいれる #germany #ドイツ #uk #イギリス
3 FORMULA 1 1/43 TYRRELLsennakazu
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SCG003C SCUDERIA CAMERON GLICKENHAUS TEST CAR 2015 ⑤
私の大好きなスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウス(SCG)が、独自開発してきた初のスーパーカーの第5弾です。 (詳細は、第1弾を参照願います。) 私のグリッケンハウスのコレクションの中で唯一のテストカーモデルです。F1もそうですが、テストカーは迷彩カラーが多く、詳細がわからないようにしていますが、それがまたカッコよく、引き立ちますね! #spark #SCUDERIA #CAMERON #GLICKENHAUS #スクーデリア #キャメロン #グリッケンハウス #usa #アメリカ
- - 24h ETC LE MANSsennakazu
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BRM P57 #18 GERMAN GP 1964
BRM・P57は、ブリティッシュ・レーシング・モータースが1962年から1965年までのF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーで、トニー・ラッド氏によって設計されました。 P67は1964年イギリスグランプリにリチャード・アトウッド選手のドライブで参加しましたが、予選の終了後BRMは決勝から撤退しました。その後BRMは四輪駆動プログラムをお蔵入りとし、H16エンジンの開発に注力しました。(参照ウィキペディア) #spark #brm #germany #ドイツ #
18 FORMULA 1 1/43 OWEN RACING ORGANISATIONsennakazu
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AUDI R18 E-TRON QUATTRO #1 AUDI SPORT TEAM JOEST WINNER LE MANS 2012
アウディ・R18は、アウディがR15 TDIの後継として2011年に開発したプロトタイプでのレーシングカーで、2011年はR18 TDIとして参戦し、2012年より改良型のR18 ウルトラと、ハイブリッドシステムを搭載するR18 e-tron クワトロへと交代しました。 2012年モデル アウディが持つ四輪駆動技術「クワトロ」と、開発中の電気自動車システム「e-tron」の名を冠したハイブリッドプロトタイプレーシングカーで、後輪をディーゼルエンジンで駆動し、前輪をボッシュ製のモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) 2基で駆動します。 制動時にフロント回生ブレーキで発生した電気エネルギーは、コクピット内部の助手席に置かれたフライホイール・バッテリーに運動(回転)エネルギーとして保存され、放出時には逆のルートをたどって前輪を駆動します。システムはウィリアムズ・ハイブリッド・パワー (WHP) 製で、アウディの前にはポルシェが911 GT3 Rに搭載してニュルブルクリンク24時間レースに出場しています。カーボン製のフライホイールは最高45,000 rpmで回転するため独特の高周波音を発し、最大360 kJを貯蔵可能にします。 TDIエンジンの出力は375 kW (510 PS) 以上、そしてモーターの最高出力は75 kw(×2基)なので、一度に500 kJ(規定値)を放出可能にしました。 4輪駆動は車体のトラクションを向上させることに繋がるため、回生エネルギーの使用可能速度は120 km/h以上に制限されました。 WECへのエントリーは、開幕戦セブリングにR18 TDIの改良型を3台、第2戦スパと第3戦ル・マンにR18 ウルトラ・R18 e-tron クワトロの両車を2台ずつ、第4戦シルバーストーンと第5戦サンパウロにR18 ウルトラとR18 e-tron クワトロを1台ずつ、第6戦バーレーン以降はR18 e-tron クワトロを2台で戦いました。 シリーズ開幕から4連勝し、第3戦ル・マンでは前年の優勝トリオが乗るこのモデルのR18 e-tron クワトロ1号車が総合優勝を果たしました。これはル・マンにおけるハイブリッドマシンでの初優勝となりました。2位はR18 e-tron クワトロ2号車、3・5位はR18 ウルトラの2台という完勝でした。 しかし、ル・マンから参戦開始したトヨタ・TS030 HYBRIDが強力なライバルとなり、後半4戦はトヨタに対して1勝3敗という成績でしたが、最終的にはLMP1クラスのマニュファクチャラーズチャンピオン獲得、ドライバーズランキング1〜4位独占という大成功を収めました。 (参照ウィキペディア) 2012年のル・マンで初めてこのマシンを見た時、斬新なフロントマスクと、ホワイトとシルバーをベースにしたカラーリングに一目惚れ、予約開始と同時にポチッをしてしまいました。 #spark #audi #アウディ #germany #ドイツ #lemans #ルマン
1 LE MANS 1/43 AUDI SPORT TEAM JOESTsennakazu