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SCUDERIA ALPHATAURI RBPT AT03 #10 PIERRE GASLY BAHRAIN GP 2022
#minichamps #alphatauri #アルファタウリ #honda #ホンダ #italy #イタリア #formula1 #フォーミュラ1
10 PU RBPT (RED BULL POWERl) → HRC (HONDA RACING) カテゴリー 1/43sennakazu
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SCUDERIA ALPHATAURI HONDA AT02 #10 PIERRE GASLY BAHRAIN GP 2021
#minichamps #alphatauri #アルファタウリ #honda #ホンダ #italy #イタリア #formula1 #フォーミュラ1
10 FORMULA 1 1/43 SCUDERIA ALPHATAURIsennakazu
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McLAREN MERCEDES MP4-29 #20 KEVIN MAGNUSSEN AUSTRALIAN GP 2014
#minichamps #mclaren #マクラーレン #mercedes #メルセデス #uk #イギリス #germany #ドイツ #australia #オーストラリア #formula1
20 FORMULA 1 1/43 McLAREN MERCEDESsennakazu
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LANCIA STRATOS ALITALIA #14 S.MUNNARI / M.MANUCCI 1st MONTE CARIO RALLY 1975
#minichamps #lancia #ランチア #stratos #ストラトス #italy #イタリア #montecario #モンテカルロ #rally #ラリー
14 RALLY M.MANUCCI 1/43sennakazu
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EUROPEAN MINARDI F1 X 2 2 SEATER PAUL STODDART 2006
#minichamps #minardi #ミナルディ #cosworth #コスワース #italy #イタリア #2seater #
- FORMULA 1 1/43 EUROPEAN MINARDIsennakazu
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EUROPEAN MINARDI COSWORTH F1 X 2 2 SEATER JOS VERSTAPPEN ‘THUNDER AT THE ROCK’ ROCKINGHAM 2003
#minichamps #minardi #ミナルディ #cosworth #コスワース #italy #イタリア #2seater #
- FORMULA 1 1/43 EUROPEAN MINARDIsennakazu
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TEAM McLAREN MERCEDES MP4-98T 2 SEATER MIKA & ERJA HAKKINEN LAPLAND 17 APRIL 2000
#minichamps #mclaren #マクラーレン #mercedes #メルセデス #2seater
- McLAREN EDITION 43 NO 74 FORMULA 1 1/43sennakazu
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童夢 S101 JUDD RACING FOR HOLLAND #9 24HEURES DU MANS 2001
#minichamps #dome #童夢 #judd #ジャド #lemans #ルマン #france #フランス
9 LE MANS 1/43 童夢 RACING FOR HOLLANDsennakazu
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MERCEDES BENZ C-CLASS DTM #19 PAUL DI RESTA DTM 2007
#minichamps #mercedes #メルセデス #benz #ベンツ #germany #ドイツ
19 DTM 1/43 PERSON MOTORSPORTSsennakazu
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MARCH FORD 2-4-0 SIX-WHEELER TEST CAR 1976
#minichamps #march #マーチ #ford #フォード #uk #イギリス #
- FORMULA 1 1/43 MARCH FORDsennakazu
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OPEL VECTRA GTS V8 ‘MERCI LAURENT’ DTM FINAL HOCKENHEIM 2005 #11 LAURENT AIELLO
#minichamps #opel #オペル #germany #ドイツ #dtm #
11 DTM 1/43 OPC TEAM PHOENIXsennakazu
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VW RACE TOUAREG RALLYE BARCELONA DAKAR 2005 GORDON / V.ZITZEWITZ 12th PLACE / WINNERS 1st & 4th LEG
#minichamps #rally #ラリー #vw #フォルクスワーゲン #germany #ドイツ #dakar #ダカール
317 RALLY 1/43 VWsennakazu
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LOTUS RENAULT 97T #12 AYRTON SENNA 1985
ロータス・97Tは、チーム・ロータスが1985年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、設計はジェラール・ドゥカルージュ氏、1985年の開幕戦から最終戦まで実戦投入されました。 基本的なデザインは95TとCART用のマシンであった96を踏襲していますが、シャーシは95Tとは違い、カーボンファイバーでアルミハニカムをサンドイッチする方式に変更されており、これは96からもたらされたものでした。シーズン初期は、前輪とサイドポンツーンの間にバージボードが搭載されていました。エンジンは引き続きルノー製を搭載しています。 ドライバーは、エリオ・デ・アンジェリス選手とアイルトン・セナ選手でしたが、No.2ドライバーとしてチームに加入したセナが、デ・アンジェリスを上回る速さを見せ、第2戦ポルトガルGPではポールポジションを獲得、そして初優勝、ファステストラップを記録し、ハットトリックを成しえました。 記録としては、年間3勝 8PPで、コンストラクターズランキング3位。 ドライバーズランキング4位(アイルトン・セナ)2勝 7PP ドライバーズランキング5位(エリオ・デ・アンジェリス)1勝 1PP でした。 (参照ウィキペディア) #minichamps #lotus #ロータス #renault #ルノー #uk #イギリス
12 COMMEMORATIVE EDITION OF THE 15YEARS OF THE INSTITUTE AYRTON SENNA EDITION 43 NO 30 FORMULA 1 1/43sennakazu
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TYRRELL FORD 018 #4 JEAN ALESI JAPAN GP 1989
ティレル・018は、ハーベイ・ポスルスウェイト氏を責任者として設計されたF1マシンで、1989年シーズンから1990年シーズンにかけてティレルチームが使用しました。 1988年シーズンに使用した017の後継モデルとして、前作からの共通部品のない完全な新型として設計されました。前年にフェラーリから移籍していたポスルスウェイト氏と、新たに移籍してきた空力専門家のミジョー氏によりこの5年苦戦してきたティレルにとって久々となる戦闘力を持つマシンとなりました。 018にはフロントサスペンションにモノショックが採用され、左右のフロントサスペンションで1セットのダンパーとスプリングを共有し、ダンパーとスプリングはコクピットの前方の、モノコック中央上面に沿うように配置され、ダンパーはリンクを用いて左右のプッシュロッドと接続されています。モノショックのフロントサスペンションは、1990年以後、ジョーダン、レイトンハウス・マーチなど複数のチームがコピーして採用しました。マクラーレンやフェラーリなどのトップチームも翌年以後に左右のダンパーを接続してモノショックと同様の効果を持たせたフロントサスペンションを導入するなど、この設計思想はF1界に大きな影響を与えました。 設計責任者のポスルスウェイト氏が「息子に修理を頼まれた田宮のラジコンカーのサスペンションを見ていて、このモノショックを思い付いた」と田宮模型社長の田宮俊作に話をしたことがあると田宮が自著に記されています。 018ではミジョー氏の空力思想により、フロントウイングとノーズ底面が若干持ち上げられており、翌年の019では更に大きくノーズが持ち上げられ、アンヘドラルウイング(コルセアウイング)が導入されることになります。 エンジンはコスワース・DFRを使用しました。 1989年シーズン、ドライバーはミケーレ・アルボレート選手とジョナサン・パーマー選手の2人でしたが、途中フランスGPより大口スポンサーとしてキャメル(R.J.レイノルズ社)が付くことになり、マールボロから支援を受けていたアルボレート選手が離脱し、後釜にキャメルがスポンサーするF3000チームEJRでランキングトップとなっていた新人ジャン・アレジ選手が起用されました。アレジはフランスGPとスペインGPで4位に入賞し、イタリアGPでも5位でポイントを獲得するなどパーマーを上回る好成績を挙げました。なお、アレジがタイトルのかかっていた国際F3000参戦を優先したため欠場したベルギーGPとポルトガルGPではアレジの代役としてジョニー・ハーバート選手が018をドライブしました。 メキシコGPで3位(アルボレート選手)を最上位に、カナダGPではジョナサン・パーマー選手がウェットレースの中ファステスト・ラップを記録。1989年のコンストラクターズランキングで5位を獲得しました。非ワークスエンジンを使用するチームの中では最上位でした。 (参照ウィキペディア) なお、このモデルのアレジ選手は、日本グランプリではリタイアでしたが、シーズンでは8戦(そのうち3戦リタイア)しか走りませんでしたが、他の3名のドライバーを抑えて9位の成績となりました。 恐るべき新人でしたね。 #minichamps #tyrrell #ティレル #ford #フォード #uk #イギリス #japan #日本
4 FORMULA 1 1/43 TYRRELLsennakazu
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FERRARI 312 T4 #12 GILLES VILLENEUVE 1979
フェラーリ・312Tシリーズはフェラーリのフォーミュラ1カーで、312Tは1974年の312B3をベースに作られ、1975年から1980年まで使用されました。312Tはマウロ・フォルギエリ氏が1975年シーズン用に設計したもので、改良を受けながら使用され続けました。 フェラーリ・312T フェラーリ・312T2 フェラーリ・312T3 フェラーリ・312T4 フェラーリ・312T5 312Tシリーズは通算27勝を挙げ、4度のコンストラクターズタイトルと3度のドライバーズタイトルを獲得しました。 (その後、312Tは、1981年にフェラーリ初のターボ付き車両の126CKに置換されていきました。) 312Tのエンジンは、先代の312Bの水平対向12気筒(ただし正確には対応する左右のピストンが同方向に動く、「180°V型」)の構成を引継いだ改良型で、パワフルで信頼性が高く、510馬力程度を発生しました。名称に含まれる"T"は、「横」を意味するTrasversale(イタリア語。英Transverse)の頭文字で、横置きのギアボックスを採用したことから付けられました。横置きギアボックスを採用することでショートホイールベース化を実現し、先代の大きな弱点だったハンドリング特性が改善されました。 1979年に向け、フォルギエリ氏はロータスに追随しグラウンド・エフェクトを採用しなければならないと気づき、312T4は312T3をベースとして、空力に大幅な改良が加えられました。セミ・モノコックはバスタブ型から細い箱型に変更され、コクピット後方に燃料タンクを収納しました。両脇のサイドポッド内にはグラウンド・エフェクトを発生するベンチュリ構造が取り付けられましたが、しかし、横幅の広い水平対向エンジンが空気の流路の邪魔になってしまい、排気管の取り回しやシリンダーヘッドの形状を改良したものの、理想的なウィングカー構造には成り得ませんでした。 フロント部分はテーブル状のアッパーカウルの下からステーを伸ばし、フロントウィングを突き出す形状に一新され、その特異な外観から「醜いアヒルの子」と揶揄されました。市街地コースのロングビーチやモナコでは、リヤウイングを後車軸よりも前に取り付けていました。当時は後車軸より前に取り付けられているものはリヤウイングの寸法(全幅110cm以内)ではなくボディの寸法(全幅140cm以内)とされていたため、より大きなダウンフォースを稼ぐことができました。 312T4は1979年南アフリカGPでデビューし、緒戦でワンツーフィニッシュを飾りました。リジェ・JS11、ルノー・RS10、ウィリアムズ・FW07といったライバル車に対し、312T4は必ずしも最速のマシンではありませんでしたが、信頼性や扱いやすさに優れており、ジル・ヴィルヌーヴ選手とジョディ・シェクター選手が3勝ずつの計6勝を挙げました。 1979年から1980年にかけて、312T4向けのセミオートマチックトランスミッションシステムが開発されていましたが、実戦投入されることはありませんでした。当時、ヴィルヌーヴが嫌ったためお蔵入りになりましたが、ジョン・バーナード氏の加入後に開発が再開され、1988年のテストカー639を経て、1989年の640にて実戦初投入されることになりました。 (参照ウィキペディア) #minichamps #ferrari #フェラーリ #italy #イタリア ##
12 FORMULA 1 1/43 FERRARIsennakazu