-
ミニヘッドマーク レプリカ 489系 白山
ミニヘッドマーク レプリカ 489系 白山
ヘッドマーク JR西日本 JoshinRailwayfan
-
ミニヘッドマーク レプリカ 489系 はくたか
ミニヘッドマーク 489系 はくたか レプリカ
ヘッドマーク JR西日本 JoshinRailwayfan
-
全日空商事 【1/200】【YS22157】 ANK YS−11A JA8772 (ドア開閉)
ANK エアーニッポン YS−11A レジJA8772 これは2003年5月31日、札幌丘珠空港のことである。 この約1年前に、「さよならYS-11」のイベントのため、PL・整備・DISP・地上職・営業職等でプロジェクトメンバーを結成。「丘珠=紋別ラストフライト1泊ツアー」挙行に始まり、「豊平川いかだ下り」YSいかだで優勝、「サッポロ雪まつり」YS市民雪像で参加、「オリジナルYS絵葉書セット・YSスライドショーCDR」機内配布、などを通じ、YS-11が退役間近なことを伝えてきました。 そして迎えたのがこの日、YS-11の札幌丘珠空港・最後の日です。 着陸してきたYSが、ゆっくりゆっくりと進む中を、音楽隊の演奏が迎えます。 キーンと独特の音が演奏をかき消し、ランプイン。静かになった札幌丘珠空港のエプロンに駐機するJA8772 丘珠空港を、再びゆったりとした演奏が包みました。 もう10年の歳月が経とうとしているのに、さまざまな北海道でのFLTのことが昨日の様に思い出されます。 初雪が降った日、最終函館便の帰りに札幌に差し掛かった時。規則的に並んだ橙色の街灯を、白い雪がレフ板の様に反射し、まるで街全体が明るくなった様に見えました。 あれは中標津の帰りで夜間。雨が降れど揺れはなし。こんな夜は…・・って思っていたら出ました。前方の窓に緑色に細かく線状にさざめく光が。 そうセントエルモスファイヤーです。次第に窓いっぱいに広がり、充分な素晴らしさで我々を楽しませました。 とはいえ、日本でも有数の積雪量の丘珠空港を母港としてのオペレーションは、時に厳しいこともありました。反面、楽しいことも。 言わば大自然に対峙出来たのも札幌の良さといえるのではないでしょうか。 さあ、最後となったYS-11 RRダートMk543-10Kエンジンが唸り始めました。もう戻ることのない母港・札幌丘珠空港を後にして。ありがとう、丘珠のそして札幌のみなさん。何年間お世話になったことでしょう。そしてさよなら。 YS-11A・JA8772は、2度ローパスをした後、新千歳空港を目指し、旅立っていきました。 見送る私のまぶたは、熱くなっていました。 ーーYS-11機長 丸山裕之ーー 北海道内路線に日本近距離航空(時)のYS-11が就航したのは昭和55年(1980年)5月27日である。当初は千歳発着であったが翌昭和56年(1981年)3月20日から札幌丘珠空港発着となりDHC-6が担っていた丘珠一稚内線、丘珠一中標津線、丘珠一紋別線にYS-11が就航した。昭和 59年(1984年)6月1日より丘珠一函館線がYS-11路線に加わった。長らくエアーニッポンの道内路線機材として親しまれ丘珠といえばYS-11を想うファンも多い。平成14年(2002年)7月1日より後継機であるDHC-8-300型機が就航を開始、平成15年(2003年)5月31日をもって札幌丘珠空港発着路線をエアーニッポンネットワークのDHC-8-300型機に移管しYS-11は数々の思い出とともに丘珠の空を去っていった ドア開閉 タラップ 記念看板 展示用滑走路付き。
飛行機模型 全日空商事 トップガンRailwayfan
-
全日空商事 【1/200】【YS21156】全日空 YS−11A "オリンピア" JA8756 (ドア開閉)
全日空 YS−11A "オリンピア" レジJA8756 わが国初の国産ターボプロップ旅客機YS-11が開発され初飛行に成功したのは昭和37年(1962年)8月30日のことである。 ANAは昭和37年(1962年)10月1日、日本航空機製造株式会社と20機購入の予備契約に調印したが後に三舵問題と呼ばれる型式証明取得のために必要な改良に手間取りYS-11に航空局から型式証明が発行されたのは東京オリンピックの開催を直日路前に控えた昭和39年(1964年)8月5日であった。 ANAは聖火リレーのためにギリシャから沖縄まで運ばれてきた聖火をYS-11で空輸することを計画していたが残念ながらANAにはまだYS-11は1機も引き渡されていなかった。 実現は一時危うく思われたが日本航空機製造株式会社から試作2号機であったJA8612をチャーターし機体に全日空とダビンチマークを塗装し機首には東京五輪マークを入れて聖火空輸特別機に仕立てた。聖火を安全に空輸するため機内に特別な台を設置するなど整備部門、客室部門は非常に苦労しパイロットも8月下旬までにYS-11限定変更試験を受けて乗務資格を取得して聖火空輸に臨んだ。 9月9日塚増治郎、藤村楠彦両機長により当時球政府の続治下にあった沖縄から鹿児島-宮崎ー(名古屋)-札幌へと聖火が運ばれ聖火リレーが実施されてANAがYS-11で運航した聖火空輸は無事成功した。 ANAにおける定期便就航は昭和40年(1965年)9月20日の大阪-高知線になったがANAは聖火空輸の成功をたたえてYS-11にオリンピアの愛称をつけて呼ぶようになった。 タイムテーブルの機種欄にANAのYS-11便が0と表示されていたのはこうしたいきさつからである。 就航初は胴体外板を接続したリベット部にキャニングと呼ばれる皺が生じたりエアコンの不調によりハットラックにエアコンの水滴が溜まり旅客の苦情が出るなど初期故障に悩まされたが日本航空機製造株式会社とともに粘り強く改善に取り組み克服していった。 YS-11はANAが育て1人前にした機体だと語るANAのOBは多い。YS-11は開発段階でオペレーションズリサーチを行った日本で始めての機体であり当時は1,200mのランウェイが多かった日本のローカル空港への離着陸を考慮して直径4.42mのダウティロートルのプロペラを装備し短距離離着陸性能が特に優れていた。YS-11は将来の航空需要の増加を見越して34インチピッチで60席と当時使われていたフレンドシップの40席の1.5倍のキャパシティーで開発されたことでローカル線の需要増にも応えることが出来た。 ペイロードを増やした改良型のYS-11Aが開発されて標準型になるとジェット化できないローカル線に最適な機材との評価が高まった。 小松一新潟ー札幌線(昭和45年)、高知一鹿児島線(昭和47年)、熊本一宮崎線(昭和48年)、東京-長崎線(昭和48年)、長崎一鹿児島線(昭和48年)、福井-名古屋線(昭和49年)、奄美大島一伊江島、伊江島一那覇線(昭和50年)、福岡-対馬線(昭和50年)、大阪-仙台線(昭和51年)、長崎-対馬線(昭和51年)、福岡一伊江線(昭和51年)、広島一鹿児島線(昭和52年)、東京一鳥取線(昭和54年)などYS-11で路線開設されたANAのローカル線は多い。反面YS-11は上昇性能が弱いという弱点にも悩まされた。 YS-11は開発段階から十分満足できる出力のエンジンがなく採用したロールスロイス製ダートエンジンも改良を重ねたものの抜本的な出力アップには至らなかった。 気温の上昇と共にエンジンの性能が落ちてくる夏場はなかなか高度があがらず便数の多かった大阪一高知線では天気の悪いときの山脈越えに苦しむなどパイロット泣かせの機種でもあった。離昇馬力を左翼に積むウォーター・メタノールの噴射で補う様を「YSはのんべえだから水割りをひっかけて景気をつけないと上がっていかないんだ」と親しみを込めるメカニックもいた。 ANAにおける一時代を築いたYS-11も日本航空機製造株式会社が182機で製造を打ち切り地方空港もジェット化が進んだことによりYS-11の後継はジェット機が担っていくことになった。 最大時32機、導入総数42機を数えたYS-11もジェット化とエアーニッポンへの移管により平成3年(1991年)8月31日、新潟一仙台線NH720便がオリンピアラストフライトとなった。ラストフライトは総飛行時間12.858時間、YS-11では4,802時間の三浦弘明キャプテンが機長、有野達也キャプテンが副操縦士を務めるダブルキャプテンで有終の美を飾った。 仙台空港では3番スポットでOLYMPIALAST FLIGHT ありがとうYS-11の横断幕を掲げてNH720便を迎え乗客へ記念品配布、乗客代表への花束贈呈、乗員への花束贈呈のセレモニーが行われた。 昭和40年(1965年)から平成3年(1991年)までの26年間でYS-11/YS-11Aの総飛行時間は約95万時間、総旅客数は約500万人であった。 オリンピアラストフライト機となったのはYS-11A-600型JA8756号機。前方にカーゴドアを持ち後部のエアステアから乗り降りする貨客型として作られたANAでは珍しい機体であった。 製品は後部ドア開閉、タラップ、記念看板、展示用滑走路付き。
飛行機模型 全日空商事 トップガンRailwayfan
-
全日空商事 【1/200】【YS211103】 YS−11A JTA塗装 JA8778
JTA 日本トランスオーシャン航空 JTA塗装 YS−11A レジ JA8778 平成5年、日本トランスオーシャン航空の発足とともにYS-11Aにもホワイトを基調にした新しいデザインが導入された。 印象的な赤い尾翼とノーズまでボディカラーで統一されたJTAカラーはYS-11Aに施された最も斬新なデザインのひとつと言われている。 南西航空の時代から31年間にわたり活躍してきたYS-11AもB737を後継機とする路線のジェット化により活躍の場をせばめ、平成11年7月15日与那国一石垣線を最後に惜しまれつつ退役した。
飛行機模型 全日空商事 フリースタイルRailwayfan
-
全日空商事 【1/500】〔NH50073〕 B787-8 "Inter flight version with 787 logo marking(M.wing on the ground condition.)" JA805A
B787-8 "Inter flight version with 787 logo marking(M.wing on the ground condition.)" レジ JA805A BOEING787型ドリームライナーはボーイング社が総力を上げて開発した次世代民間旅客機である。 2004年4月26日、ANAが50機確定発注したことを受けてボーイング社がローンチを決定した。 開発モデルはBOEING787-3型、8型、-9型の3機種があり座席数は200~330席、5,500~16,300kmに及ぶ航続距離により乗客がノンストップで目的の都市へ直行することが出来る中型双発機である。 中型機でありながら大型ジェット並みの航続性能を備えた飛行速度は現在の最速民間旅客機に匹敵するマッハ0.85に達する一方、燃料効率は先進のテクノロジーを用い既存の同クラス航空機と比べ20%向上、貨物搭載スペースも60%増加している。 旅客に対しても、快適な湿度に保たれた機内、幅広の座席・通路、大きな窓などの斬新な機内環境で更なる旅の快適さが提供されている。 これらの高性能を実現する為にBOEING787型の開発プロジェクトでは機体の軽量化による省エネルギー運航が最重要課題とされボーイング社は数ヶ月に及ぶ集中的な研究分析の結果、強度を高めたエポキシ樹脂と組み合わせたグラファイドを主要複合材料として選定した。 主翼には軽量化と耐久性に優れたチタンと炭素を安定化させたグラファイドを組み合わせたTiGr複合材料を採用した。 主翼、胴体を含む主要構造の大部分に先進複合材料が採用されるのはジェット旅客機としては初めてである。BOEING787型はオール・コンポジット・エアプレーンとも呼ばれ1機あたりの二次構造材を含めた炭素繊維複合材料は約30トンに達する。 ボーイング社はBOEING787のオールコンポジットの主要構造部分に炭素繊維複合材料であるトレカプリプレグ(トレカは東レ株式会社商標)を採用した。 トレカプリプレグはBOEING777型機では既に尾部やフロアビームなどの構造部分に使用されているがBOEING787型機ではさらに主翼や胴体などほぼ全ての構造部材が炭素繊維複合材料に代替されている。エンジンはゼネラル・エレクトリック社製GENX、あるいはロールスロイス社製トレント1000のエンジンを使用し2種類のエンジンが同じ標準規格で採用されている。ANAのBOEING787型機導入理由は次のとおり。 1. BOEING767-300型機の後継機種として国内線仕様では300席クラスであること。 2. 同一機種による国内線・国際線運航が可能であり、現行BOEING767-300型機を凌ぐ信頼性・経済 性・快適性が確保できること。 3. 羽田空港再拡張に伴う国内線・国際線事業の拡張およびBOEING767-300型機の更新時期への対応が可能なこと。 ANAは2004年10月13日に開催した取締役会にてBOEING787型のエンジンをロールスロイス社のトレント(Trent)1000に決定した。 ANAが導入決定したBOEING787型は-8型及び-9型の2種類で-8型は基本型で国際線2クラス仕様で座席数158席(C46Y112)/座席数222席(C42 Y180)、国内線仕様で座席数335席(プレミアムクラス12 一般323)、胴体延長型である-9型は全長62.8m、国内線仕様の場合で約400席程度を見込んでいる。航続距離は-8型国際線仕様機で13,610km。 同機は2005年1月28日に型式番号が787と決定するまでBOEING7E7の名称で呼ばれていたがEは効率(Eficiency)を追求した次世代中型旅客機を表している。 BOEING787は2009年12月16日(現地時間15日10時27分)に初飛行に成功した。 2009年12月22日にはANAカラーに塗装された試作機N787EXがフライトしANA塗装機の空撮画像が公開された。 2011年7月4日〜10日にかけて就航に向けた検証プログラム(Service Ready Operational Validation) ではANA塗装のBOEING787(BOEING所有機)がアジアで初めて日本に飛来し、国内での検証プログラムを行った。ANAのBOEING787は世界初の営業飛行として2011年10月26日〜27日、成田-香港のチャーターフライトを実施したのち2011年11月1日より羽田-岡山・広島線に定期便就航した。 JA805Aは長距離国際線仕様として受領した初号機である。 機体領収時はANA通常塗装であったがBOEING787であることをよりわかり易くするため胴体前部に787のロゴを追加することになり羽田到着後ANAハンガーにおいて追加のペイント作業が実施された。 キャビンコンフィギュレーションはスタッガード配列のビジネスクラス46席、エコノミー112席の158席仕様で2012年1月21日より羽田-フランクフルト線に就航した。2012年11月1日、BOEING787就航から1周年を迎えての就航回数は国際線565回 国際線旅客数は74,340人国際線の搭乗率は82.6%と高い値を示している。ANAが行った機内アンケートでもフライト後に「787にもう一度乗りたい」と回答されたお客様が98.7%にのぼり「機内快適性」を証明する結果となった。既存機であるBOEING767と比較した燃費効率についても1年間の国際線運航実績でBOEINGの予測を上回る21%減を達成している。 2012年11月1日現在、ANAはBOEING787を16機受領しており保有数は世界最多となっている。 2012年9月21日の取締役会においてBOEING787-9型 11機が追加発注され受領済みの 16機とあわせてANAのBOEING787発注数は66機となり航空会社として発注数でも世界最多である。 商品には羽田空港RWY16Rのベースが付属。
飛行機模型 全日空商事 セントレア 売店Railwayfan
-
全日空商事 【1/500】〔NH50058〕 ANA B787−8 "Dream liner"
全日空 B787−8 Dream liner レジJA803A B787型ドリームライナーはボーイング社が総力を上げて開発中の次世代民間旅客機である。 2004年4月26日、ANAが50機確定発注したことを受けてボーイング社がローンチを決定した。 開発モデルはB787-8型、-9型の2機種があり座席数は200~330席、5,500~16,300kmに及ぶ航続距離により乗客がノンストップで目的の都市へ直行(ポイントトゥポイント)することが出来る中型双発機である。中型機でありながら大型ジェット並みの航続性能を備えた。飛行速度は現在の最速民間旅客機に匹敵するマッハ0.85に達する一方、燃料効率は先進のテクノロジーを用い既存の同クラス航空機と比べ20%向上、貨物搭載スペースも60%増加する。 旅客に対しても、快適な湿度に保たれた機内、幅広の座席・通路、大きな窓などの斬新な機内環境で更なる旅の快適さが提供される。 これらの高性能を実現する為にB787型の開発プロジェクトでは機体の軽量化による省エネルギー運航が最重要課題とされボーイング社は数ヶ月に及ぶ集中的な研究分析の結果、強度を高めたエポキシ樹脂と組み合わせたグラファイドを主要複合材料として選定、主翼には軽量化と耐久性に優れたチタンと炭素を安定化させたグラファイドを組み合わせたTiCr複合材料を採用した。 主翼、胴体を含む主要構造の大部分に先進複合材料が採用されるのはジェット旅客機としては初めてである。 B787型はオール・コンポジット・エアプレーンとも呼ばれ1機あたりの二次構造材を含めた炭素繊維複合材料は約30トンの使用が見込まれている。ボーイング社はB787のオールコンポジットの主要構造部分に炭素繊維複合材料であるトレカプリプレグ(トレカは東レ(株)商標)を採用した。トレカプリプレグはB777型機では既に尾部やフロアビームなどの構造部分に使用されているがB787型機ではさらに主翼や胴体などほぼ全ての構造部材が炭素繊維複合材料に代替されることになる。 エンジンはゼネラル・エレクトリック社製GENX、あるいはロールスロイス社製トレント1000のエンジンを使用し2種類のエンジンが同じ標準規格で採用された。 同機は2005年1月28日に型式番号が787と決定するまでB7E7の名称で呼ばれていたがEは効率(Efliciency)を追求した次世代中型旅客機を表している。
飛行機模型 全日空商事 セントレア 売店Railwayfan
-
鉄道むすめ 【vol.8】 のと鉄道 運転士 和倉ななお
のと鉄道 運転士 和倉ななお ーーメモーー 〔名前の由来は、のと鉄道七尾線和倉温泉駅と、七尾駅から〕 のと鉄道所属、運転士。1988年10月20日生まれ・天秤座、O型。 人と話すことが好きで、料理(菓子作り、特にクッキー)が得意。
鉄道むすめ トミーテック 不明Railwayfan
-
車内備品 JR九州 特急 車内公衆電話案内板
JR九州 特急 車内公衆電話案内板 です。 特急の車内にある公衆電話の上あたりについていました。
鉄道 車内備品 国鉄・JR 鉄道部品店Railwayfan
-
愛称板 【種別板】 20系 特急 LTE.Express.
20系客車で使用された種別板になります。 寝台特急で使用されました。
種別板 国鉄・JR 鉄道部品店Railwayfan
-
愛称板 【種別板】 名鉄7000系 指定席
名鉄7000系 で使用された種別板です。 指定席となります。 今のところ当ミュージアムで、私鉄の種別板は珍しいです。 福井県のリサイクルショップにて発見。
種別板 名鉄 リサイクルショップRailwayfan
-
プラレール 【プラレール博限定】 485系 レッドエクスプレス にちりん
485系 レッドエクスプレス にちりん 〜メモ〜 イベント限定品の485系にちりんで、通常品の雷鳥の色変えバージョンです。
プラレール タカラトミー 2000円Railwayfan
-
プラレール 【S -56】つくばエクスプレス2000系
つくばエクスプレス 2000系 実車 TX−2000系は2005年に営業運転を開始した首都圏新都市鉄道の交直流通勤形電車です。 秋葉原ーつくば を結んでいます。 プラレールでは2010年に発売され2017年で絶版となりました。 パッケージにはつくばエクスプレスのマスコットキャラクター スピーフィが書かれており、プラレールの車両単品パッケージの中でも凝っています。
プラレール タカラトミー 1800円Railwayfan
-
ヘッドマーク 485系 だから滋賀
このヘッドマークについては、ほとんど詳細が不明です。資料がまったく見つからず、写真もなし。 挙げ句の果てに遊びに来る鉄道仲間からはこのヘッドマークを拝見して「本当に実装していたのか?」と言われる始末。 485系初期車(ボンネット)の形状をしているので、おそらく取り付けていたと思いますが。 だから滋賀 というのは、長らく不明でしたが、復刻された80年代の時刻表の当時の広告欄に、だから滋賀 の広告があり観光キャンペーンと書いてありました。 今で言えば、ディスティネーションキャンペーンでしょうか? デザイン的にも手作り感が漂います。 と思っていた矢先、2018年9月今現在 本ヘッドマークについてネットで検索したところ、とあるサイトにて一般公開されている車両基地の写真に当ヘッドマークを取り付けた485系が写っていました。これにて実際に取り付けていたことが判明しました。これでモヤモヤが解けました。
ヘッドマーク 国鉄・JR 不明Railwayfan
-
車内用銘板 【JR北海道】 五稜郭運転所 平成3年改造
JR北海道の車内取り付け用の銘板です。 五稜郭運転所 となり、未使用品です。 平成3年年とありますので、この時期に改造された車両は50系客車より改造されたキハ141系がありますので、おそらく本形式のために用意されていたものだと思われますが、キハ141系は五稜郭運転所の配置がなかったため不明です。
鉄道部品 銘板 国鉄・JR 不明Railwayfan