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1976 14TH TSM BRABHAM BT45 C.PACE
不発のアルファロメオエンジン C・パーチェ BRABHAM BT45 前年度ブラバムで初優勝を決めた カルロス・パーチェはチーム残留 チームメイトは前年同様ロイテマン ブラバムはフォードエンジンから 水平対向12気筒のアルファロメオに変更 パワーは申し分なかったものの 重量過多で燃費も悪く信頼性も低かった パーチェはR8フランス R10ドイツでの 2度の決勝4位が最高で年間入賞は3回 年間ランキングは14位で前年6位から後退 ◆R16日本GP(富士)予選6位→決勝リタイア◆ 前年の白ベースのマシンからカラー変更 アルファレッドの鮮やかなマシンであったが エンジンの不振もあり成績は振るわなかった モデルはTRUE SCALE MINIATURES MODEL R3アメリカWEST仕様 予選13位→決勝9位 ゴードン・マレー作BT45は 翌1977年は主にBスペックで年間使用 翌々年1978年はCスペックとして R2まで使用されN・ラウダもドライブした
240521 C.PACE 1976 8FW12C
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1972 18TH SPARK (FRANK WILLIAMS) MARCH 711 C.PACE
カルロス・パーチェ F1デビュー フランク・ウイリアムズ MARCH 711 ホセ・カルロス・パーチェ ブラジル出身 同郷のエマーソン・フィティバルディの ライバルと目されたドライバー 現在まで続くウイリアムズの前身 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズで マーチの旧型 MARCH 711で参戦 R2南アフリカGPよりデビュー 2戦目のR3スペインGPで早くも6位入賞 パーチェのキャリア入賞は16回 シーズン2度の入賞でランキングは18位 チームメイトのアンリ・ペスカロロは ニューマシンのMARCH 721で参戦したが こちらはノーポイントに終わった パーチェは翌1973年はサーティスに移籍 モデルはスパーク パーチェのF1デビュー戦となった R2南アフリカGP仕様 予選24位→決勝17位 イタリアの玩具メーカー ポリトイ (Politoys) 現在のポリスティル (Polistil) がスポンサー ティートレイと呼ばれた独特のウイングの 同社ロゴ〖POLITOYS〗がとても目立つ1台 #F1
240325 C.PACE 1972 22FW12C
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1973 11TH SPARK SURTEES TS14 FORD C.PACE
カルロス・パーチェ初の表彰台& ファステストラップ SURTEES TS14 前年ウイリアムズ(マシンはマーチ)で F1デビューを果たしたブラジル出身 カルロス・パーチェ 1973年サーティスに移籍 チームメイトはマイク・ヘイルウッド R4まではへイルウッドとともに すべてリタイアに終わり中盤戦も苦戦 R11ドイツGPでようやく4位入賞は 自身初のファステスト・ラップ パーチェのキャリア通算FLは5回 続くR12オーストリアGPでは 決勝3位自身初表彰台獲得 パーチェのキャリア表彰台は6回 連続でファステスト・ラップ記録 1978年まで参戦する チーム サーティスとしては 最後の表彰台(通算2回) 最後のファステスト・ラップ(通算3回) パーチェはこの年 フェラーリから 世界メーカー選手権(スポーツカー選手権) にも参戦している モデルはスパーク R12オーストリアGP仕様 予選8位→決勝3位 チームサーティスの象徴とも言える スポーツカーノーズの白い矢印と パーチェのヘルメットの黄色い矢印が マッチしている1台
240123 C.PACE 1973 2回FW12C
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1975 6TH PMA BRABHAM FORD BT44B C.PACE 〖🏆1〗
カルロス・パーチェ ブラジル出身 1972年デビュー 1973年サーティス 1974年途中よりブラバムに在籍 1975年TMはC・ロイテマン カルロスコンビのブラバム R2地元ブラジルGP 予選6位から順位を上げて 33週目にラップリーダーの J.P ジャリエ(シャドウ)がリタイア トップに立ちそのままチェッカー パーチェの生涯唯一の勝利 モデルはそのブラジルGP仕様 パーチェはその後もブラバムに在籍も 1977年に飛行機の事故により他界 パーチェが勝利した ブラジル インテルラゴス・サーキットは アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェと 改名されて現在もブラジルGPの開催地で使用 セナと共に愛されたドライバ―の一人 #1975 #F1通算1勝 #F1
C.PACE 1975 1回 1.584FW12C