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1976 (44TH) SPARK (F&S Properties) PENSKE PC3 B.HAYJE
地元オランダGPでグランプリデビュー ボイ・ハイエ PENSKE PC3 ボイ・ハイエ オランダ出身 1976年R12地元オランダGPに プライベーターF&S Propertiesで ペンスキーのマシンで出場 PENSKE PC3はこの年1台体制の ワークスペンスキーのジョン・ワトソンが R6モナコGPまで使用した旧型モデル ペンスキーは新型のPC4で 前戦R11オーストリアGPで優勝をあげている ハイエは予選21位で通過 決勝は63/全75周 ブシャフト壊れリタイア 翌1977年はRAMより数戦出場している モデルはスパーク R12オランダGP仕様 予選21位→決勝R プライベーターの特別カラーでなく ペンスキーの3色カラーを流用 水色/白/赤がハイエの母国 オランダの国旗とマッチしている https://muuseo.com/FW12C/items/899?theme_id=35914
240529 B.HAYJE 1976 39FW12C
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1974 14TH SPARK (FRANK WILLIAMS) ISO Marlboro FW03 A.MERZARIO
F・ウイリアムズに移籍 キャリア最高予選3位 A・メルツァリオ ISO Marlboro FW03 1974年フェラーリを離脱した アルトゥーロ・メルツァリオは フランクウイリアムズのチームに移籍 コンストラクター名称はISO Marlboro チームは基本メルツァリオ1人体制で 途中数名のドライバーがスポット参戦 終盤は新人ジャック・ラフィーが加入 メルツァリオはR3南アフリカで キャリアベストの予選3位→決勝6位入賞 R14イタリアGPは予選15位ながら 決勝は4位入賞でこちらもキャリアタイ記録 並びにメルツァリオの生涯最後の入賞 年間では入賞2回 ランキング14位 モデルはスパーク メルッザリオの地元 R14イタリアGP仕様 予選15位→決勝4位 メルッザリオ キャリア最後5度目の入賞 タバコブランド Marlboro貼付 前年度フェラーリ所属時に 設計ミスなどもありまともに走行できなかった 事に対してエンツオ・フェラーリは謝罪の意を 述べており ファラーリから支援を受け メルッザリオのヘルメットには 跳馬のロゴが付けられている #1974年
240523 A.MERZARIO 1974 20FW12C
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1977 12TH SPARK COPERSUCAR FD04 E.FITTIPALDI
コパーシュカー2年目 カラー変更 エマーソン COPERSUCAR FD04 1977年エマーソンは兄のウイルソンが 設立したチーム コパーシュカー2年目 序盤2戦はインゴ・ホフマンが2NDドライバー 前半戦は前年度のマシンFD04を流用し カラーは自国ブラジルのナショナルカラー でもあるイエローに変更された 開幕戦アルゼンチンGPで決勝4位 R2地元ブラジルGPでも連続4位獲得 序盤4戦で3度の入賞と全戦完走 前年度のマシンの信頼性がUPし好成績 後半戦はニューマシンF5を投入したが 一転不振で予選落ち2回 入賞は1回 最終戦日本GPは残念ながら欠場 シーズンでは4位3回 5位1回 11ポイントでランキング12位 実質1人ドライバーながらチームも コンストラクター9位と着実に進歩した モデルはSPARK R2ブラジルGP 仕様 予選18位→決勝4位入賞 鮮やかなブラジルイエローのマシン FD04は信頼性が増し1977年使用された 7戦中6戦で完走 3度の入賞
240517 E.FITTIPALDI 1977 28FW12C
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1978 (36TH) SPARK ENSING N177 L.LEONI
後にファーストレーシング設立 L・レオーニ 2回限りの決勝 ENSING N177 ランベルト・レオーニ イタリア出身 1977年 ヨーロッパF2 後のF1 ミナルディチームとなる スクーデリア・エベレストなどに所属 1勝をあげてランキングは11位 同年サーティスからF1エントリーも予選落ち 1978年はエンサインよりF1デビュー 開幕から2戦決勝進出するもリタイア 3戦・4戦は連続予選落ちしたところで ジャッキー・イクスにシートを奪われ レオーニのF1は決勝2回のみで終了 その後ファーストレーシングを設立 1988年は国際F3000で ピエル・ルイジ・マルティニを擁し1勝 マルティニはミナルディでF1にステップアップ この時のセカンドドライバーは 1994年の全日本F3000チャンピオンで ジョーダンでF1参戦したマルコ・アピチェラ 1989年ファーストレーシングはF1参戦表明 ガブリエル・タルキーニを擁しテストを開始 しかしクラッシュテストを1度でパスできず 2度目で通過したもののスポンサーがつかずに 資金難で結局は開幕戦に現れることが無かった その後ファーストレーシングのマシンは ライフ・レーシングに売却されて 1990年にライフ L190と生まれ変わるも こちらのマシンも決勝には進出できなかった モデルはスパーク 開幕戦アルゼンチンGP 予選23位 決勝は29周目にエンジンが壊れてリタイア スポンサーがほとんどなく白ベースのマシン エンサインは同年N177のマシンで ジャッキー・イクス ネルソン・ピケ デレク・デイリー などが起用されて デイリーが最終戦カナダで6位入賞している #1978年
240515 L.LEONI 1978 23FW12C
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1974 (21ST) SPARK (HILL) LOLA T370 G.EDWARDS
チーム ヒル ローラのシャーシで参戦 ガイ・エドワーズ デビュー LOLA T370 ガイ・エドワーズ イギリス出身 1974年 チーム ヒルのセカンドドライバー としてF1デビューを果たす チームヒルはこの年イギリスの コンストラクターであるローラにマシンを依頼 エリック・ブロードウェイが設計した T370はF5000がベースで巨大エアボックが特徴 開幕戦 アルゼンチンGP 決勝11位完走 R6モナコGP決勝8位 R7スウェーデン決勝7位 予選ではエースのグラハム・ヒルに3度勝つなど まずまずの走りを見せたが怪我の影響もあり R10・R11 連続予選落ちしてチームを解雇 結果的にR7スウェーデンGPの決勝7位が エドワーズのキャリアベストリザルトとなった モデルはスパーク 開幕戦アルゼンチンGP仕様 予選25位→決勝11位 チームのメインスポンサーである タバコブランド Embassy仕様 ガイ・エドワーズは息子シーン・エドワーズも レーシングドライバーであり 2013年ニュルブルクリンク24時間レース覇者 同年の映画〖ラッシュ/プライドと友情〗に 父のガイ・エドワーズ役で出演の珍しい経歴 シーンは残念ながらこの年にレース事故死
240512 G.EDWARDS 1974 1/43FW12C
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2014 15TH SPARK SCUDERIA TORO ROSSO STR9 D.KVYAT
当時の史上最年少入賞記録 ダニール・クビアト TORO ROSSO STR9 ダニール・クビアト ロシア出身 2014年若干19歳の若さでトロ・ロッソからデビュー ロシア人としてはV・ペトロフ以来の2人目 チームメイトはジャン・エリック・ベルニュー 2014年からF1では固定カーナンバー制を導入 クビアトは自身の誕生日の4月26日から26を選択 同様にベルニューは4月25日から25を選択 開幕戦オーストリアGP 予選8位→決勝9位入賞 19歳324日での入賞は当時の史上最年少記録 (以前はS・ベッテル(BMW)の19歳349日) 翌年にM・フェルスタッペン(トロ・ロッソ) 17歳180日と大きく更新される 年間で5度の入賞で8ポイ ントランキング15位 ベルニューは20ポイント ランキング13位と 差をつけられたものの予選では勝った事もあり 翌2015年はベッテルのフェラーリ移籍に伴い 2年目にして早くもレッドブルに昇格を勝ち取った モデルはスパーク 開幕戦オーストリアGP仕様 予選8位→決勝9位 クビアト初入賞 当時の史上最年少入賞記録 2024年5月現在では歴代5位の記録 クビアトのキャリア入賞回数は44回
240505 D.KVYAT 26 1/43FW12C
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1963 10TH SPARK (SCUDERIA CENTRO SUD) BRM P57 L.BANDINI
プライベーターからフェラーリ移籍へ L.バンディーニ BRM P57 1963年 前年フェラーリでスポット参戦した ロレンツォ・バンディーニ(イタリア)は プライベーター BRMのマシンで R4フランスGPよりエントリー R5イギリスGP予選8位→決勝5位入賞 R6ドイツGP予選 BRMのワークスである G・ヒル R・ギンザーに勝ち予選3位獲得 この走りが認められて R7イタリアGPからはフェラーリに移籍 シーズン途中でフェラーリのシート獲得 フェラーリでは2度の5位 トータル5位3回で年間ランキングは10位 翌1964年はフェラーリに残留 モデルはスパーク R5イギリスGP仕様 このGPではBRMのマシンで出場の3人が 3位G・ヒル 4位R・ギンザー 5位バンディーニと 3人ともが上位入賞を果たした
240411 L.BANDINI 1963 3FW12C
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1981 (34TH) SPARK OSELLA FA1B B.GABBIANI
チーム オゼッラ 2台体制 決勝進出3回 ガビアーニ OSELLA FA1B ベッペ・ガビアーニ イタリア出身 1978年 チームサーティスの最終年 終盤2戦エントリーもいずれも予選落ち 1979年 全日本F2にスポット参戦 開幕戦の鈴鹿で優勝を飾っている 1981年 2台体制となったオゼッラに 多額の資金を持ち込みシートを獲得 チームメイトはMA・グェラなどトータル4名 開幕戦のアメリカWESTで最後方予選24位で 初の決勝進出するも 決勝はリタイア その後2度の決勝進出ともリタイア R6モナコGPから10戦連続の予選落ち 後半7戦チームメイトとなった J.P.ジャリエは全戦予選通過 ガビアーニはこの年でF1終了 キャリア17戦のエントリーで決勝進出3回 予選落ち14回は歴代ワースト11位 予選落ち回数歴代ワースト30位の中で 予選不通過率82.4%はワーストの記録 後1983年はヨーロッパF2にステップダウン F1に進出する前のチームオニキスで 前半だけで4勝 後半失速もランキングは3位 1986年は童夢で全日本耐久選手権にも出場 モデルはスパーク ガビアーニの最後の決勝進出 R5ベルギーGP仕様 予選22位 決勝は22/54周でエンジンが壊れリタイア
240410 B.GABBIANI 1981 1/43FW12C
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2019 2ND SPARK MERCEDES-AMG F1 W10 EQ POWER+ V.BOTTAS〖🏆4〗
2019年 日本GP 鈴鹿ウイナー バルテリ・ボッタス MERCEDES W10 2019年 ボッタスはメルセデス3年目 チームメイトは変わらずL・ハミルトン 開幕戦オーストラリアGP 予選2位→決勝2年ぶり勝利 R4戦目までに2勝 2位2回 FL1回で チャンピオン争いでFL分の1Pリード しかしR5スペインGPから ハミルトン3連勝で波に乗り 前半戦までに勝負があり それでもボッタスは R17日本GP/R19アメリカGPで優勝 年間4勝はキャリアベストでランク2位 コンストラクター6連覇に大きく貢献した モデルはスパーク 開幕戦オーストラリア仕様 予選2位→決勝 FLで優勝 かつての中嶋悟のスポンサー 〖EPSON〗のロゴがリアウィング 翼端板に 1990年代ロータスのスポンサーであった 〖トミー・フィルフィガー〗のロゴが フロントノーズ先端に貼られている #2019年
240406 V.BOTTAS 3回 77FW12C
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1983 (23RD) SPARK ARROWS A6 C.SERRA
チコ・セラ F1ラスト アロウズ途中解雇 ARROWS A6 1983年フィッテパルディチーム撤退で シートを失ったブラジル出身チコ・セラは アロウズのシートを獲得 チームメイトはマルク・スレール 開幕戦地元ブラジルGP 予選23位→決勝9位 R2アメリカWESTは元チャンピオン アラン・ジョーンズの復帰でシート譲る その後R4サンマリノ予選20位→決勝8位 R5モナコ予選15位→決勝7位と上り調子も チームはR6イギリスGPからベルギー出身 ティエリー・ブーツェンの起用を決定 セラはシートを失い F1でのキャリアは終了 その後はブラジル国内で活躍 同国のストックカーシリーズでは 1999年より3連覇を果たした モデルはスパーク 開幕戦ブラジルGP仕様 予選23位→決勝9位 各戦ごとにカラーが変わるARROWS A6 開幕戦はほとんどスポンサーない中 〖CALOI〗はブラジルの自転車メーカー E.T.に登場した自転車を模倣した BMXモデルを同1983年に発売している 🏁チコ・セラ(ブラジル) 【決勝出走数】18回 (入賞1回) 【予選最高位】15位 1983年 ARROWS R5 モナコ 【決勝最高位】 6位 1982年 FITTIPALDI R5 ベルギー
240403 C.SERRA 1983 30FW12C
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1975 17TH SPARK (CUSTOM MADE HARRY STILLER RACING) HESKETH 308 A.JONES
アラン・ジョーンズ デビューマシン プライベーター HESKETH 308 アラン・ジョーンズ オーストラリア出身 1973年イギリスF3 ランキング3位 1975年イギリスの元レーシングドライバー ハリー・スティラーが自身所持の ヘスケスのマシンでチーム設立 ジョーンズをF1デビューに導いた R4スペインGPから参戦 R6ベルギーGPシーズンベストの予選13位 R7スウェーデンGPで決勝11位 ヘスケスでは4戦中完走は1回のみ R8オランダGPよりワールドチャンピオン グラハム・ヒル創設のヒルに移籍 自身初ポイントを獲得する モデルはスパーク ジョーンズの2戦目R5モナコGP仕様 予選20位→決勝ホイール脱落でリタイア 独特のフロント形状のヘスケスのマシンに センターの濃赤のラインが映える1台 https://muuseo.com/FW12C/items/1037?theme_id=32702
240331 A.JONES 1975 26FW12C
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2023 21ST SPARK WILLIAMS RACING FW45 L.SARGEANT
8年ぶりのアメリカ人ドライバー ローガン・サージェント WILLIAMS FW45 ローガン・サージェント アメリカ出身 2022年 フォーミュラ2 2勝 ランク4位 2023年 ウイリアムズからF1デビュー アメリカ人ドライバーは2015年の アレクサンダー・ロッシ(マノー マルシャ) またレギュラードライバーとしては 2006年 スコット・スピード(トロ・ロッソ) 以来 約17年ぶりのフル参戦 チームメイトはアレックス・アルボン ドライバー固定カーナンバーは2番を選択 予選 22戦中Q3進出は2回 最高7位 決勝 R18地元アメリカGPで10位入賞 入賞は1度のみでフル参戦の中では最下位 チームメイトのアルボンにも予選全敗 決勝もアルボンリタイア以外では先着無し 契約が危ぶまれたが翌2024年も残留 モデルはスパーク 開幕戦バーレーンGP仕様 デビュー戦 予選16位→決勝12位 ウイリアムズのモデルは2014年(FW36) 以来のスパークでの発売 カラーとスリーブがマッチした1台
240330 L.SARGEANT 2023 1/43FW12C
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1976 (42ND) SPARK BRM P201B I.ASHLEY
BRM チーム 末期 1戦のみ イアン・アシュリー BRM P201B 1950年代より参戦している名門BRM ブリティッシュ・レーシング・モータース 1962年にはG・ヒルを擁しチャンピオン獲得 1972年の勝利を最後に成績は下降 1974年オーナーのオーウェン卿死去 妹婿のルイス・スタンレー卿に譲られた 1976年は1台体制でイギリス出身 イアン・アシュリーを起用 開幕戦ブラジルGP予選22台中21位 決勝は3周目にオイルポンプが壊れ 早々にレースを終えた BRMは開幕戦のみエントリーで 資金難により1976年のF1活動は終了 翌1977年に復帰するも シーズン後にF1から撤退した モデルはスパーク BRMこの年1戦限りとなった 開幕戦ブラジルGP仕様 イギリス系のチームでありながら 前年の1975年よりフランスを連想する トリコロールカラーを採用 2年落ちのマシンでスポンサーロゴは 部品供給社以外見当たらない
240327 I.ASHLEY 1976 14FW12C
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1972 18TH SPARK (FRANK WILLIAMS) MARCH 711 C.PACE
カルロス・パーチェ F1デビュー フランク・ウイリアムズ MARCH 711 ホセ・カルロス・パーチェ ブラジル出身 同郷のエマーソン・フィティバルディの ライバルと目されたドライバー 現在まで続くウイリアムズの前身 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズで マーチの旧型 MARCH 711で参戦 R2南アフリカGPよりデビュー 2戦目のR3スペインGPで早くも6位入賞 パーチェのキャリア入賞は16回 シーズン2度の入賞でランキングは18位 チームメイトのアンリ・ペスカロロは ニューマシンのMARCH 721で参戦したが こちらはノーポイントに終わった パーチェは翌1973年はサーティスに移籍 モデルはスパーク パーチェのF1デビュー戦となった R2南アフリカGP仕様 予選24位→決勝17位 イタリアの玩具メーカー ポリトイ (Politoys) 現在のポリスティル (Polistil) がスポンサー ティートレイと呼ばれた独特のウイングの 同社ロゴ〖POLITOYS〗がとても目立つ1台 #F1
240325 C.PACE 1972 22FW12C
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1977 19TH SPARK ATS PNSKE PC4 J.P.JARIER
ATS ペンスキー買収でF1参戦 ジャン・ピエール・ジャリエ PNSKE PC4 ドイツの自動車部品サプライヤーATS 1976年末F1でペンスキーを買収 1977年チームATSとして参戦 マシンはペンスキー製を使用 ドライバーは前年までシャドウに所属した ジャン・ピエール・ジャリエの1台体制 R4アメリカGPより参戦 予選9位→決勝6位 初戦でポイント獲得の活躍をみせたものの 以降の入賞は無くペンスキーは この年限りでF1から撤退 チームATSは翌1978年からは コンストラクター名もATSとして 1984年まで参戦する ジャリエは終盤シャドウとリジェからも 1戦ずつ参戦もポイント獲得はなかった モデルはスパーク R4アメリカWEST GP アメリカの名門PENSKEの車体の 最後のポイント獲得となった
240322 J.P.JARIER 1977 34FW12C