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2000 2ND PMA McLAREN MERCEDES MP4-15 M.HAKKINEN〖🏆4〗
ベルギーGPでのオーバーテイクも ハッキネン3連覇ならず MP4-15 2000年ワールドチャンピオン3連覇の かかったミカ・ハッキネン チームメイトは5年連続D・クルザード 開幕戦オーストラリアとR2ブラジル 2戦連続予選PPも決勝はリタイアに終わり MP4-15は速さはあるが信頼性に問題が生じた R3サンマリノGPで2位表彰台獲得すると R14イタリアGPまで14戦連続入賞 この間4勝を上げて 2位が6回 特にR13ベルギーGPはチャンピオン争いの ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を 周回遅れのリカルド・ゾンタ(BAR)共々 抜き去ったオーバーテイクは 今も語り継がれる伝説のシーン しかしR15アメリカGP序盤にエンジンが 壊れてリタイアで万事休す シーズン17戦で9回のFLを取りながらも ワールドチャンピオン3連覇と コンストラクターも2年連続で フェラーリに敗れた モデルはミニチャンプス メルセデス別注の特別台紙 GP表記の無いRACE CAR仕様 台紙とモデルカーがマッチしている 個人的に好きなメルセデス台紙 台座にWest(タバコ)の文字が印字されるも 残念ながらWESTデカールは未加工 #2000年
240524 M.HAKKINEN 2000 9回FW12C
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2023 6TH BBURAGO McLAREN MCL60 L.NORRIS
ランド・ノリス F1史上114人目のウイナー 2024年R6 マイアミGP で初優勝 F1決勝110戦目は史上8番目に遅い記録 同順位でジャンカルロ・フィジケラ(ルノー) フィジケラは通算3勝 ノリスはどこまで伸ばせるか? モデルは2023年 マクラーレン5年目のシーズン 前半不振も中盤以降マシンが大きく改善 R10イギリスGPで2位表彰台 その後シーズンで6度の2位獲得 205ポイントでランキングは6位 1960年代活躍のイタリアのF1ドライバーで 強い印象を与えたドライバーに対して贈られる ロレンツォ・バンディーニ賞をノリスは獲得した モデルはBBURAGO R10イギリスGP 予選2位→決勝2位 ノリスの地元イギリスGPは過去4年で 11位→5位&9位→4位→6位 (2020年はシルバーストーンで2度開催) 自身初のイギリスGP表彰台であった
240509 L.NORRIS 2023 1回FW12C
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2023 9TH BBURAGO McLAREN MCL60 O.PIASTRI
2023年新人ドライバー O・ピアストリー 鈴鹿で自身初の表彰台 McLAREN MCL60 オスカー・ピアストリー オーストラリア出身 2020年 F3 18戦2勝 チャンピオン 2021年 F2 24戦6勝 チャンピオン 2023年から1度アロンソの抜けた アルピーヌが起用と発表したが その後撤回 同郷のリカルドの後任でマクラーレンからの F1デビューとなった カーナンバーは〖81〗 チームメイトはランド・ノリス R3地元オーストラリアGPで初入賞8位 R14イタリアGPで初のFL獲得 R16日本GP鈴鹿で予選フロントロー獲得 決勝はノリスに先行されたものの 3位でフィニッシュ 初の表彰台獲得 マクラーレンのドライバーが 鈴鹿で初表彰台獲得するのは 1993年ミカ・ハッキネン以来30年ぶり 翌R17カタールGPでは自己最高2位 22戦入賞12回 FL2回 ランキング8位 更なる飛躍が期待されるドライバー モデルはBBURAGO R10イギリスGP仕様 予選3位→決勝4位 ホイルカバーがスポンサーのchrome4色 パパイヤオレンジ/シルバー カーボンブラックのバランス良いカラー
240407 O.PIASTRI 2023 2回FW12C
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2018 11TH IXO McLAREN MCL33 F.ALONSO
アロンソ F1活動休止 ルノーエンジン McRALEN MCL33 2018年アロンソはマクラーレン4年目 パワーユニットはHONDA→ルノーに変更 カラーリングはマクラーレン伝統の パパイヤオレンジ・ブルーに変更 チームメイトはスフェトル・バンドーン シーズン前テストではトラブル連発も 開幕戦では予選11位→決勝5位入賞 マクラーレンは4年ぶりの開幕戦入賞 その後7位→7位→7位 3戦連続入賞 R5スペインGPからはBスペックともいえる バージョンを投入し予選初のQ2進出 決勝も8位に入り開幕から5戦連続入賞 しかし後半戦は勢いがなくなり 入賞は21戦中9回 最高位は開幕戦の5位 この年アロンソはF1と並行して ル・マン・24時間に参戦し優勝 グラハム・ヒル以来の 〖世界三大レース制覇〗に王手をかけ (F1モナコGP インディ500 ル・マン24H) 2019年シーズンはF1に参戦しないと表明 F1活動休止 2021年にルノーで復帰 モデルはIXO (デアゴスティーニ) F1マシンコレクション122号 アロンソ F1活動休止前ラストレースの 最終戦R21アブダビGP仕様 予選15位→決勝11位 ヘルメットカラーと同様の ブルー/イエロー/レッドがの配色 スペシャルロゴが入ったモデル
240402 F.ALONSO F1マシンコレクション 14FW12C
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2000 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4‐15 D.COULTHARD〖🏆3〗
飛行機事故から奇跡の生還 デビッド・クルーザード MP4-15 2000年マクラーレン5年目のクルザード チームメイトも5年連続M・ハッキネン R4地元イギリスGPシーズン初優勝を飾る イギリスGPは2年連続での勝利 そのGP後当時の恋人と搭乗した プライベートジェット機が墜落事故 パイロットと副操縦士が残念ながら死亡 しかしクルザードと恋人は奇跡的に生還 事故直後のR5スペインGPでは肋骨にヒビが 入りながらも2位表彰台を獲得 R7モナコ R9フランスでも勝利 R12ハンガリーGP時点では2点差で チャンピオン争いにも絡んだ 終盤は失速して年間ランキングは3位 シーズン3勝はキャリアベストとなった モデルはミニチャンプス チームのロゴが入ったオリジナル台紙 マクラーレンEDITIONのNo.30 タバコWEST禁止GPでのDavidのロゴ仕様 台紙のMP4/15→MP4-15の表記間違い
240310 D.COULTHARD 2000 3回FW12C
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1999 FESTIVAL PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 N.HEIDFELD (GOODWOOD FESTIVAL OF SPEED)
GOODWOOD FESTIVAL OF SPEED ヒルクライム新記録 ニック・ハイドフェルド ニック・ハイドフェルド ドイツ出身 1997年 ドイツF3チャンピオン(5勝) 1998年国際F3000 ランク2位(3勝) 同年マクラーレン・メルセデスのテスト担当 1999年国際F3000チャンピオン(4勝) マクラーレン・メルセデスのテストも継続 同年ドイツで行われているモーターイベント GOODWOOD FESTIVAL OF SPEEDに参加 前年度チャンピオンマシンMP4-13をドライブ イベントの目玉となるヒルクライムのレースで 41.60のコースレコードを出し この記録は2022年にマックス・チルトンに 破られるまで23年間コース レコードであった ハイドフェルドはこのイベントには 3年連続での出場であり 1997年MP4/11B 1998年MP4/12をドライブ それぞれその年の最速タイムであった モデルはミニチャンプス 長年メルセデスはハイドフェルドの サポートをしていたが 彼が実際にメルセデスエンジン・マシンで F1に参戦する機会は残念ながら無かった 前年度チャンピオンマシンにふさわしく カーナンバーNo.1 のハイドフェルド タバコ広告禁止の為 Nick表記
240217 N.HEIDFELD FESTIVAL 1999FW12C
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1969 14TH SPARK (ANTIQUE AUTOMOBILES RACING) McLAREN M7B V.ELFORD
クイックビック ビック・エルフォード 1台限りのマシン McLAREN M7B ビック・エルフォード イギリス出身 1968年ラリーモンテカルロで優勝 1週間後にデイトナ24時間を制し偉業達成 その時についた愛称が クイック・ビック 同年クーパーよりF1参戦 1969年はプライベーターの ANTIQUE AUTOMOBILESで マクラーレン M7Bのマシンで参戦 M7Bは葉巻型M7Aと異なり燃料タンク内蔵で 車体一体のサイドポッドを 取り付けしたマシンであった シーズン途中マクラーレンからマシンを購入 R5フランス決勝5位 R6イギリス決勝6位 連続入賞でポテンシャルを引き出した R7ドイツ シーズンベスト予選6位 1周目四輪駆動車のロータス63を ドライブするM.アンドレッティが クラッシュして2輪のホイールが脱落 片方のホイールに当たった エルフォードは激しくクラッシュ マシンは真っ逆さまになって木に落下 アンドレッティはエルフォードを 大破したマシンから救出したが エルフォードは腕を3箇所骨折 1台のみ製作のM7Bはそのまま廃車となった エルフォードは2年後の1971年 クラッシュで負傷した同じドイツGPに BRMで出場予選18位→決勝11位完走 これがF1での最後のキャリアとなった モデルはスパーク R5フランスGP仕様 予選10位→決勝5位 M7Bの燃料はコックピットの側面にある 一体型タンクに低く中央に貯蔵され 燃料重量配分を変えることで ハンドリングを改善するという理論で設計 4輪駆動のM9A風のリアカウルを装備 #1969年 #F1
240216 V.ELFORD 1969 10FW12C
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2022 7TH BBURAGO McLAREN MCL36 L.NORRIS
マクラーレン4年目 ランド・ノリス 契約延長 McLAREN MCL36 2022年 デビューよりマクラーレン一筋 4年目となったランド・ノリス 開幕前にさらに2025年までの4年契約を交わす チームメイトはダニエル・リカルド スポンサーでGoogle chromeが パートナーとなり 車体とこの年復活となったホイルカバーに 同社のカラフルなマークが付けられた ノリスはR4イモラで3位表彰台獲得も この年の表彰台はこの1度限り チームメイトのリカルドには圧勝も 決勝では21戦中17度の入賞中 6~7位が10回とマクラーレンの この年のチーム力が反映された順位であった チームも最終戦まで争ったアルピーヌに敗れ コンストラクターランキング5位に転落 モデルはBBURAGO R3オーストラリアGP仕様 予選4位→決勝5位 2022年MODELよりマクラーレンも BBURAGOからリリース ブリティッシュ・アメリカンタバコの 無煙たばこブランド VELOのデカールは残念ながら付属無し
240207 L.NORRIS 2022 1回FW12C
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1971 (27TH) SPARK (PENSKE-WHITE RACING) McLaren M19A D.HOBBS
岡山国際サーキット 第11コーナー名称 デビット・ホッブス McLaren M19A デビット・ホッブス イギリス出身 1967年プライベター(車体BRM)でF1初参戦 1968年第1期HONDAでJ・サーティスが HONDA唯一のPPを獲得したイタリアGPで セカンドカーで出走(予選14位→決勝R) 1994・1995年にパシフィックGPとして F1開催された(旧)IT英田サーキット 現在の岡山国際サーキットには 各コーナーに往年の名ドライバーの 名前がついており 第11コーナーの ホッブスは彼から名付けられたもの 1971年ホッブスは最終R11アメリカGPで 急遽ペンスキー(車体マクラーレン)に呼ばれた これは本来出場するはずの マーク・ダンヒューの他のレースが 雨で順延され当該GPとバッティング しかし再度他レースが雨で順延して ダナヒューがアメリアGPに出場の 可能性も残されていたため 予選は2名のドライバーでシェアして出場 (予選 ダナヒュー19位 ホッブス24位) 結局ダナヒューは他レースに出場 ホッブスが決勝を出場して10位完走となった モデルはスパーク R11アメリカGP仕様(予選24→決勝10位) 1971年マクラーレンは アメリカの石油関連会社SUNOCOがスポンサー マクラーレンとして珍し青い車体
240128 D.HOBBS 1971 31FW12C
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1974【WORLD CHAMPION】 McLAREN FORD M23 E.FITTIPALDI〖🏆3〗
🔲🔲🔲1974🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN FORD M23 🟥⬜E.FITTIPALDI⬜🟥 🔲🔲🔲全15戦🔲🔲🔲 【出走】15回【PP】2回 【優勝】 3回【FL】0回 エマーソン 2度目のチャンピオン
231120 E.FITTIPALDI 5 1/43FW12C
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1982 5TH SPARK McLAREN MP4/1B N.LAUDA〖🏆2〗
2年ぶり復帰のニキ・ラウダ 混戦の1982年2勝 McLAREN MP4/1B 1979年末に突如引退したラウダ 1982年マクラーレンで電撃復帰 チームメイトはジョン・ワトソン 当初復帰に関してはマクラーレン側も ブランクや怪我の後遺症を考えて 開幕戦から4戦目までのスポット契約 開幕戦南アフリカGPで4位入賞すると R3アメリカWESTで予選2位より優勝 ファステストラップも記録 この年の3番目のウイナー(全11名) その後R10イギリスGPで2勝目をあげ チームもワトソンと合わせ合計4勝 ラウダの復帰と共にマクラーレンも 復活を印象づけるシーズンとなった モデルはスパーク 台座はMP4-1BとなっているがMP4/1Bの間違い ラウダの復帰初勝利となった R3アメリカWEST GP使用 予選2位→決勝WIN Marlboroデカール加工をしてあります 1980年以降のマクラーレンで ミニチャンプス唯一発売していないのが 1982年のマクラーレンMP4/1B
231104 N.LAUDA 1982 1回FW12C
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1974 11TH IXO McLAREN FORD M23 M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド F1ラスト YARDLEY McLAREN FORD M23 1974年マクラーレンは新たなスポンサーで タバコの多国籍企業フィリップモリスの マールボロとアメリカ石油のテキサコを獲得 しかしながら前年までの化粧品会社 ヤードレーとの契約も残っており 所謂Bチームとしてプラス1台体制を取り そのチームにマイク・ヘイルウッドを起用 ヘイルウッドは開幕から3戦連続入賞 R3南アフリカGPは自身2度目の表彰台3位 R4以降の入賞はR8オランダの4位のみ R11ドイツGP終盤5位走行中に マシントラブルによりバリアに衝突 長時間閉じ込められて両脚を骨折 そのままF1からは引退となった その後2輪ドライバ―としては復帰し マン島TTレースと2年連続制覇 1981年に交通事故により愛娘とともに 残念ながらこの世を去った 享年40歳 モデルはデアゴスティーニ(IXO) F1マシンコレクションシリーズは その年の主役以外のモデルも リリースしていたのが魅力のひとつ ヘイルウッドの最後の雄姿の YARDLEY McLAREN M23もその1台 🏁マイク・ヘイルウッド (イギリス) 【決勝出走数】50回(入賞10回-表彰台2回) 【予選最高位】 4位(2回) 1972年 SURTEES R2 南アフリカ 1974年 McLAREN R8 オランダ 【決勝最高位】 2位 1972年 SURTEES R10イタリア 【ファステストLAP】1回 1972年 SURTEES R2 南アフリカ
231027 M.HAILWOOD F1マシンコレクション 1974FW12C
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1999 4TH PMA McLAREN MERCEDES MP4‐14 D.COULTHARD
デビッド・クルザード2勝上げるも コンストラクター連覇逃す MP4-14 1999年マクラーレン4年目のクルザード チームメイトは変わらずM・ハッキネン ニューマシンのMP4-14は エイドリアン・ニューウェイのデザイン 前年のMP4-13と外見は変わらないものの リアの絞込み ラジエーターコンパクト化 重量配分の見直し ホイールベースの短小化 など大きくコンセプトを変更した クルーザードは予選でPPは無かったものの 予選全てで2列目より前のスタート しかし決勝ではメカニカルトラブルが クルザード車中心に多く発生した それでもR8地元イギリスGP R12ベルギーGP と2勝を上げてR12イタリアGP時点では ワールドチャンピオン争いに残った そこからまさかの3戦連続のリタイア チャンピオン争いから脱落するだけでなく コンストラクターもフェラーリに敗れた 結局チャンピオンのハッキネンの 約2/3のポイント48Pで年間4位に終わった モデルはMINICHAMPS McLaren EDITION シリーズ台紙の28番目 タバコ【WEST】加工しております
230911 D.COULTHARD 1999 3回FW12C
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2008【WORLD CHAMPION】PMA McLAREN MERCEDES MP4-23 L.HAMILTON〖🏆5〗
🔲🔲🔲1980🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN MERCEDES MP4-23 ⬜⬜ L.HAMILTON⬜⬜ 🔲🔲🔲全18戦🔲🔲🔲 【出走】18回【PP】7回 【優勝】 5回【FL】1回 #2008年
230830 L.HAMILTON 2008 1回FW12C
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1980 11TH SPARK McLAREN M29 J.WATSON
マクラーレン2年目ジョン・ワトソン チームも不振 McLAREN M29 1980年ワトソンはマクラーレン残留 チームメイトは新人アラン・プロスト 開幕戦・R2とプロストに予選で敗れ 決勝もプロストが連続入賞の中 リタイア・11位と苦戦を強いられる R4アメリカWESTでは決勝4位入賞も R6モナコでは自身初の予選落ち ワトソンの生涯2度の予選落ちは いずれもモナコ(1980年・1983年) しかしながら初入賞もモナコ(1974年) 初のPPもモナコ(1977年)でもある R13カナダでシーズン2度目の4位 プロストに1ポイント差で年間上回り この年6ポイントで並んだ5名の ドライバ―の上から2番目の年間11位 翌1981年プロストがルノーに移籍の中 マクラーレンに残留 チームに久々の勝利をもたらす
230811 J.WATSON 1980 7FW12C