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1974 3RD SPARK TYRRELL 007 J.SCHECKTER〖🏆2〗
ジョディー・シェクター初優勝 南アフリカ人初 TYRRELL 007 2年間マクラーレンでスポット参戦した ジョディー・シェクター(南アフリカ)は 1974年ティレルでフル参戦 チームメイトはパトリック・デュパイユ ニューマシンティレル007が R4スペインGPから導入され 予選10位から追い上げ決勝5位入賞 シェクター初入賞でキャリア入賞は53回 R5ベルギーGP決勝3位 R6モナコGP決勝2位と着実に結果を残し R7スウェーデンGP 予選フロントローから 1周目にトップに立ちそのまま優勝 シェクター参戦13戦目での勝利 シェクターのキャリア勝利数は10回 R10イギリスで2勝目を上げて この間8戦連続入賞5度の表彰台で チャンピオン争いに絡んだものの 後半4戦で失速してリタイア3回 年間ランキングは3位 フル参戦1年目で上々のシーズンであった モデルはスパーク シェクター初優勝のR7スウェーデンGP仕様 この勝利は南アフリカ人ドライバーの 初勝利であり現在までに同国唯一となっている SPARKのF1モデルの最も早い時期に発売 シルバースリーブにSPARKの文字は極少 #1974年
240606 J.SCHECKTER 1974 2回FW12C
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2000 9TH HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA EJ10 H.H.FRENTZEN
最後の無限HONDAエンジン フレンツェン JORDAN MUGEN HONDA EJ10 2000年フレンツェンはジョーダン残留 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ 前年度コンストラクター3位 終盤までチャンピオン争いに絡んだ フレンツェンであったが 2000年は歯車のかみ合わなかった1年 表彰台は3位2回 他の入賞は6位3回 シリーズランキングは11P 9位に終わる R15アメリカGPでの決勝3位が 最後のシーズンとなった無限HONDAエンジン 最後の表彰台(16回)と入賞(63回)となった モデルはHOT WHEELS GP表記の無い RACE CAR仕様 1991年からF1参戦したジョーダン この年よりマシンの名称がEJ(10)に変更 EJはエディー・ジョーダンの略で F1参戦10シーズン目のマシン #2000年
240605 H.H.FRENTZEN 2000 5FW12C
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2008 12TH PMA RENAULT F1 TEAM R28 N.PIQUET(Jr.)
歴代12番目 F1親子ドライバー N・ピケJr.デビュー RENAULT R28 ネルソン・ピケJr. ブラジル出身 父は3度のワールドチャンピオンN・ピケ 母はオランダ人で生後間もなく両親別居 幼少期はモナコで過ごしたのち 母の希望で父のF1引退後 8歳でブラジルへ 2004年 イギリスF3 チャンピオン(3勝) 2006年 GP2 シリーズ2位(4勝) 2008年 ルノーよりF1デビュー チームメイトはフェルナンド・アロンソ 序盤はリタイアが続き途中解雇も噂されたが R7フランスGP 予選11位→決勝7位初入賞 R10ドイツGP 予選17位 決勝は1回のピットストップ直後に セーフティカーが導入され 他車がピットインした事で ピケJr.一時は首位を走行(6周) 最終的にはキャリア唯一の2位表彰台を獲得 最高位2位のドライバーの1人 しかしR15シンガポールGP 14周目にピケJr.はクラッシュを起こしたが これはアロンソを勝たせるための チームから故意の指示だった事が後に判明 クラッシュゲートとして知られ F1界を震撼させた重大事件となった モデルはミニチャンプス 2008年はルノーはNOREVとの契約の為 台紙にドライバー名を使用できずに カーナンバーNo.6のみの表記となっている
240604 N.PIQUET(Jr.) 2008 6FW12C
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1970 25TH SPARK SURTEES TS7 D.BELL
ル・マン24時間 5度覇者 D・ベル F1唯一の入賞 SURTEES TS7 デレック・ベル イギリス出身 1968年 フェラーリでスポット(2戦)参戦 1969年 マクラーレン 1戦のみ 1970年 プライベーター(ブラバム)で出場後 R12アメリカGPにワールドチャンピオン ジョン・サーティスが立ち上げたチームの セカンドドライバーとして出場 予選13位からオーナー兼ドライバーの サーティスが早々にリタイアの中 トップ1周遅れながら6位入賞を果たす ベルは1974年まで毎年数戦エントリーするも F1でポイント獲得はこの時限り スポーツカーの分野では 1975年・1981年・1982年・1986年・1987年 ル・マン24時間で5度制覇 スポーツカー世界選手権でタイトルを2回 デイトナ24時間でも3回勝利している モデルはスパーク R12アメリカGP 予選13位→決勝6位 この年より参戦のチームサーティス オリジナルマシンのTS7は R7イギリスGPより使用され同等の スペックのマシンがベルにも与えられた TS7の設計にはサーティス自身も関わっている #1970年
240603 D.BELL 1970 18FW12C
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2022 20TH PMA WILLIAMS MERCEDES FW44 N.LATIFI
ニコラス・ラティフィ ラストイヤー? キャリア唯一の予選Q3 FW44 ニコラス・ラティフィ カナダ出身 2019年 GP2 4勝 ランキング2位 2020年ウイリアムズにてF1デビュー 2022年はウイリアムズ3年目 チームメイトはジョージ・ラッセルに代わり アレクサンダー・アルボンとなった R10イギリスGP 予選でキャリアベストとなる Q3進出し予選10位 決勝は12位 チームメイトのアルボンだけでなく 代役のニック・デ・フリースにも 予選・決勝ともに敗れる苦しい立場 R18日本GPでシーズン唯一の9位入賞も 時すでに遅しで翌シーズンのシートは喪失 残念ながらこのままF1ドライバーとしての キャリア終了の可能性が高い モデルはミニチャンプス R18日本GP鈴鹿 予選20位→決勝9位 このレースは途中赤旗中断となり レースは再開されるも3時間ルール適用で 28/全53周でレースが終了している ウイリアムズチームのオリジナル台紙で 決勝レインタイヤ装着仕様となっている
240602 N.LATIFI 2022 240FW12C
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1956【WORLD CHAMPION】IXO FERRARI D50 J.M.FANGIO 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1956🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI D50 🟥🟥J.M.FANGIO🟥🟥 🔲🔲🔲全9戦🔲🔲🔲 【出走】8回【PP】6回 【優勝】3回【FL】4回 ファンジオ 3年連続 4度目のチャンピオン
240601 J.M.FANGIO La Stria 4回FW12C
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2000 (20TH) PMA PROST PEUGEOT AP03 N.HEIDFELD
クイック・ニック F1デビュー N・ハイドフェルド PROST PEUGEOT AP03 ニック・ハイドフェルド ドイツ出身 1999年 国際F3000 チャンピオン(4勝) 同年マクラーレンのテストドライバー 冷静さと速さを兼ね備え 愛称で〖コンピューター・キッド〗 〖クイック・ニック〗などとも呼ばれた 2000年はメルセデス契約の元 プロストからF1デビュー チームメイトはジャン・アレジ チーム内の統率力が無く マシンにも影響を及ぼし 期待されたルーキーも 予選最高13位 決勝最高8位と振るわず チームメイトのアレジとの接触もあった この後2012年までF1をドライブする ハイドフェルドがシーズンポイント無しで 終わるのは2000年のみ 翌2001年はザウバーに移籍 キャリア最高位2位のドライバーの 一人で最終的に183戦出場する モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR仕様 タバコブランド ゴロワーズ禁止時の 白のバーコードバージョン 前年に続きプレイステーションがスポンサー
240531 N.HEIDFELD 2000 15FW12C
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2001 8TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C20 N.HEIDFELD
the story will be at a later date.
240531 N.HEIDFELD 2001 16FW12C
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2022 9TH SPARK ALPINE A522 F.ALONSO
前人未踏のF1出走回数350戦突破 フェルナンド・アロンソ ALPINE A522 2022年アロンソは復帰アルピーヌ2年目 トータルでは19シーズン目 最年長41歳 開幕戦バーレーンで9位入賞後 R6スペインGP~R15オランダGPまで 9戦連続の入賞と健在ぶりをアピール R9カナダGPでは2012年フェラーリ時代 以来となる予選フロントローを獲得 R17シンガポールGPでは 前年度引退したK・ライコネンを抜き F1決勝最多出走回数350戦を記録した 2022年は決勝最高5位2回にとどまり 表彰台はなかったものの15歳年下となる チームメイトのE・オコン(年間8位)と 同等となるランキング9位となったが 翌2023年はアストンマーチに移籍 モデルはスパーク 開幕戦バーレーンGP仕様 予選8位→決勝9位 オーストリアで浄水器など水処理関連企業の BWTがアルピーヌのメインスポンサーとなり このGPでは同社のイメージカラーである 全体がピンクのマシンとなった 後半戦はエンジンカバー部分は アルピーヌのブルーに戻されている #2022年
240530 F.ALONSO 2022 14FW12C
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1976 (44TH) SPARK (F&S Properties) PENSKE PC3 B.HAYJE
地元オランダGPでグランプリデビュー ボイ・ハイエ PENSKE PC3 ボイ・ハイエ オランダ出身 1976年R12地元オランダGPに プライベーターF&S Propertiesで ペンスキーのマシンで出場 PENSKE PC3はこの年1台体制の ワークスペンスキーのジョン・ワトソンが R6モナコGPまで使用した旧型モデル ペンスキーは新型のPC4でチーム唯一となる 前戦R11オーストリアGPで優勝をあげている ハイエは予選21位で通過 決勝は63/全75周 シャフト壊れリタイア 翌1977年はRAMより数戦出場している モデルはスパーク R12オランダGP仕様 予選21位→決勝R プライベーターの特別カラーでなく ペンスキーの3色カラーを流用 水色/白/赤がハイエの母国 オランダの国旗とマッチしている https://muuseo.com/FW12C/items/899?theme_id=35914 #1976年
240529 B.HAYJE 1976 39FW12C
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1966 10TH IXO FERRARI 312 L.SCARFIOTTI
フェラーリ/イタリア人/イタリアGP勝利 L・スカルフィオッティ FERRARI 312 ルドビコ・スカルフィオッティ イタリア出身 祖父はフィアット社創設時に出資した9人の1人 自身は1963年よりフェラーリでスポット参戦 同年L・バンディーニと組んで ルマン24時間レースを制している 1966年は2戦のみスポット参戦 R6ドイツGPは旧型フェラーリ246で 予選4位→決勝はリタイア R7イタリアGPはフェラーリ312で予選2位 チームメイト マイク・パークスがPP 決勝は序盤はトップが1周ごとに入れ替わる 展開も終盤はパークスと一騎討ちとなり 28周目(全68周)からトップに立ち優勝 パークスと1・2フィニッシュを決めた フェラーリでのイタリア人ドライバーによる イタリアGPの勝利は1952年の アルベルト・アスカリ以来2人目で 2024年現在もこの2人のドライバーのみ スカルフィオッティのF1での勝利は このイタリアGPのみ唯一のFLも記録している モデルはIXO デアゴスティーニ フェラーリ公式 F1コレクション 62号 1966年~1969年まで使用された312は 史上最も美しいマシンの1つともいわれており 後の312B 312Tシリーズで1980年まで使用 #1966年
240527 L.SCARFIOTTI フェラーリF1コレクション 1966FW12C
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2008 15TH PMA WIILIAMS TOYOTA FW30 K.NAKAJIMA
日本人初のモナコGP入賞 F1親子鷹 中嶋一貴 WIILIAMS FW30 2008年前年度最終戦にF1デビューを 果たした中嶋一貴はウイリアムズで レギュラーシートを獲得 チームメイトはニコ・ロズベルグ 開幕戦オーストラリアGP 予選14位→決勝6位入賞 結果的に6位がキャリアベストリザルト 2008年度は8位までが入賞圏内 R4スペインGP予選12位→決勝7位入賞 R6モナコGPでも予選14位→決勝7位 日本人ドライバーのこれまでのモナコGPは 1998年の中野信治(ミナルディ)の 決勝9位が最高でそれを上回り 決勝7位と日本人初入賞を記録した 中嶋一貴は年間入賞5回でランキング15位 2度の表彰台のロズベルグには 予選・ポイントとも差をつけられたが 入賞回数5回と完走率89%(リタイア2回)は 同等の成績であり翌年もチーム残留 モデルはミニチャンプス GP表記のの無いRACE CAR仕様 ウイリアムズチームオリジナル台紙 当時のメインスポンサーである アメリカのat&t社のロゴも印刷されている
240526 K.NAKAJIMA 2008 1/43FW12C
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1968【WORLD CHAMPION】QUARTZO LOTUS 49B G.HILL (U.S.A GP)〖🏆3〗
🔲🔲🔲1968🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 49B 🟧🟧🟧G.HILL🟧🟧🟧 🔲🔲🔲全12戦🔲🔲🔲 【出走】12回【PP】3回 【優勝】 3回【FL】0回 グラハム・ヒル 2度目のチャンピオン モデルQUARTZO R11アメリカGP仕様 予選3位→決勝2位 大型のリアウイング装備 タバコGOLD LEAF仕様 このGP終了時点では 39P グラハム・ヒル(ロータス) 36P J・スチュワート(ティレル・マトラ) 33P D・ハルム(マクラーレン) 三つ巴で最終R12メキシコGPを迎えた #1968年 https://muuseo.com/FW12C/items/1779
240525 G.HILL 1968 10FW12C
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2000 2ND PMA McLAREN MERCEDES MP4-15 M.HAKKINEN〖🏆4〗
ベルギーGPでのオーバーテイクも ハッキネン3連覇ならず MP4-15 2000年ワールドチャンピオン3連覇の かかったミカ・ハッキネン チームメイトは5年連続D・クルザード 開幕戦オーストラリアとR2ブラジル 2戦連続予選PPも決勝はリタイアに終わり MP4-15は速さはあるが信頼性に問題が生じた R3サンマリノGPで2位表彰台獲得すると R14イタリアGPまで14戦連続入賞 この間4勝を上げて 2位が6回 特にR13ベルギーGPはチャンピオン争いの ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を 周回遅れのリカルド・ゾンタ(BAR)共々 抜き去ったオーバーテイクは 今も語り継がれる伝説のシーン しかしR15アメリカGP序盤にエンジンが 壊れてリタイアで万事休す シーズン17戦で9回のFLを取りながらも ワールドチャンピオン3連覇と コンストラクターも2年連続で フェラーリに敗れた モデルはミニチャンプス メルセデス別注の特別台紙 GP表記の無いRACE CAR仕様 台紙とモデルカーがマッチしている 個人的に好きなメルセデス台紙 台座にWest(タバコ)の文字が印字されるも 残念ながらWESTデカールは未加工 #2000年
240524 M.HAKKINEN 2000 9回FW12C
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1974 14TH SPARK (FRANK WILLIAMS) ISO Marlboro FW03 A.MERZARIO
F・ウイリアムズに移籍 キャリア最高予選3位 A・メルツァリオ ISO Marlboro FW03 1974年フェラーリを離脱した アルトゥーロ・メルツァリオは フランクウイリアムズのチームに移籍 コンストラクター名称はISO Marlboro チームは基本メルツァリオ1人体制で 途中数名のドライバーがスポット参戦 終盤は新人ジャック・ラフィーが加入 メルツァリオはR3南アフリカで キャリアベストの予選3位→決勝6位入賞 R14イタリアGPは予選15位ながら 決勝は4位入賞でこちらもキャリアタイ記録 並びにメルツァリオの生涯最後の入賞 年間では入賞2回 ランキング14位 モデルはスパーク メルッザリオの地元 R14イタリアGP仕様 予選15位→決勝4位 メルッザリオ キャリア最後5度目の入賞 タバコブランド Marlboro貼付 前年度フェラーリ所属時に 設計ミスなどもありまともに走行できなかった 事に対してエンツオ・フェラーリは謝罪の意を 述べており ファラーリから支援を受け メルッザリオのヘルメットには 跳馬のロゴが付けられている #1974年
240523 A.MERZARIO 1974 20FW12C