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F・L・ライトの作品は、日本に4ッある 「自由学園明日館」
グリーン・マイルさんから頂いたコメントがきっかけで、池袋「自由学園・明日館」久しぶりに行って来ました。 自由学園は 1921年、F・L・ライト(1867~1959)によって設計された。 1934年に自由学園が南沢村(現東久留米市)に移るまで校舎として使用された。 清々しい芝生の前庭越しに見える、高さを抑えて水平線を強調した屋根が載る建物のシルエット。 三角にせり上がった中央部では、縦長の窓と、幾何学的な建具の装飾が目を引く。 F・L・ライトの初期の作風「プレーリースタイル(草原様式)」を代表する建物と言える。 自由学園がこの地に設立されたのは、1921(大正10)年4月。 2021年4月に、同校とこの建物は100周年を迎えた。 創立者は、ジャーナリストであった羽仁もと子・吉一夫妻。 夫妻は子ども自身に自発的意思をもたせ、実力ある役に立つ人間をつくる目的のもとに、キリスト教の精神に基づいた学校創立を決意した。 羽仁夫妻にライトを推薦したのは、建築家の遠藤新。 帝国ホテル設計のために来日していたライトの助手を務めていた遠藤は、 友人でもある羽仁夫妻をライトに引き合わせたのだ。 自由学園明日館の向い側にある「婦人之友社」は、羽仁もと子・吉一夫妻が1903年に創刊した雑誌「家庭之友」(後に「婦人之友」に改訂)から始まった出版社。 もと子は「家計簿」の創案者としても知られる。 社屋の設計は遠藤 新の息子、遠藤 楽による。 さて、羽仁夫妻がライトに設計を依頼したのが1921年1月のことで、同年の4月には開校の予定。 ライトは急いで建物の計画をまとめたものの開校時にはまだ工事中、壁の仕上げも終わっていない状態だったという。 しかしライトは開校を心から喜び、「その名の自由学園にふさわしく自由なる心こそ、この小さき校舎の意匠の基調であります」という祝辞を寄せた。
「プレーリースタイル」建築 F・L・ライト 西池袋 自由学園明日館0318
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Frank Lloyd Wright 世界を結ぶ建築 Panasonic 汐留美術館
アメリカ近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(1867–1959) ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなすこともある) 「生前から世界で最も多くの出版物が出されている建築家の一人」といわれ、自然とのかかわりを重視する「有機的建築」という独自の思想を持つた建築家だ。 「カウフマン邸(落水荘)」や「グッゲンハイム美術館」「ジョンソン・ワックスビル」で知られるライトは、「帝国ホテル二代目本館(現在明治村に一部移築保存)」や「自由学園」を手がけ、熱烈な浮世絵愛好家の顔も持つ、日本と深い縁で結ばれた建築家だ。 2012年にフランク・ロイド・ライト財団から2万点以上の図面を含む膨大な資料が、ニューヨーク近代美術館とコロンビア大学エイヴリー建築美術図書館に移管され、 建築はもちろんのこと、芸術、デザイン、著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至るライトの広範な視野と知性を明らかにすべく調査研究が続けられてきた。 当展は帝国ホテルを基軸に、多様な文化と交流し常に先駆的な活動を展開したライトの姿を詳らかにする回顧展。 Frank Lloyd Wright 世界を結ぶ建築 Panasonic 汐留美術館
世界を結ぶ建築 Frank Lloyd Wright 入館料 1200円0318
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最近入手しました、ニューカマー
Square Fluted Colum ケーススタイルのキャレッジクロック。 縦溝彫が施された 四隅の飾り柱、文字盤を覆う繊細な草花紋様の金線細工 象牙を加工した円形ダイヤル。 両サイドにもフィリグリー・パネル(繊細な草花紋様の金線細工)が嵌め込まれています A Century of FINE CARRIAGE CLOCKS の CASE STYLE のバリェーションに SQUEAR FLUTED COLUMN with PIERCED PANELS と紹介されています。 サイズ 14.5㎝h(ハンドルアップ)キャレッジクロックのレギュラーサイズですね。 92Fで同様の意匠のキャレッジクロックを紹介していますが、 時刻表示にギリシャ数字が用いられていること、 加えて、アラーム付きなのが、差異で特徴です。 何台あっても「見ると欲しくなる」どうにもならない性格を恨むばかりです。
SQUEAR FLUTED COLUMN with PIERCED PANELS FRANCE 1890年代 20~30年前の凡そ1/40318
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高木 弓 ユミ・シャロー(Yumi Charraut)
東京・麻布・鳥居坂生まれ。雙葉学園、女子美大出身。 曽祖父は、慈恵会医科大学・病院を創設した高木 兼寛。 祖母は、有島 武郎と有島 生馬の妹で、里見 弴の姉という家系に育っ。 セツ・モードセミナーで学び、当時より「装苑」のスタイル画の仕事をする。 1967年に渡仏。高田賢三らとパリで活躍。 フリーで「ELLE」「ジャルダン・デ・モード」のデザイン活動やファッション・ジャーナリストとして活躍後、デザイン会社レラシオン・テキスタイルに在籍。 マガジンハウスの雑誌「an an」のファッションページのスタイリングや、 イラストルポなどを連載。 感性豊かなイラストと、チャーミングな姿勢が記憶に残っていました。 その、高木弓(Yumi Charraut)の著作「パリが教えてくれたボン・シックな毎日」に巡り合う。 立木 三郎が撮った写真には、モデルの立川ユリやピンクハウスの金子功(このお2人は夫婦)など「an an」に因む懐かしい顔が並んでいます。 高木弓は、高田 賢三や荒牧 太郎(MademoIselle nonnon,papas)とは大の親友。 記憶を辿っていく・・・・ 「Mademoiselle nonnon」「milk」「renon」、原宿「セントラル・アパート」と際限のない追憶の海に沈み込んで行ってしまう・・・・
追憶の海 高木 弓 ユミ・シャロー(Yumi Charraut) つい最近0318
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THE CUBIST REVOLUTION キュビズム展 美の革命 パリ ポンピドゥーセンター
20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかってない変革をもたらした。 その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来する。 ルネッサンス以降の西洋絵画の伝統的な遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、 幾何学的に平面化された形を用いて画面を構成する試みは、 絵画を現実の再現とみなすルネッサンス以来の常識から画家たちを解放した。 キュビズムが開いた新しい表現の可能性は、パリの若い芸術家たちに衝撃を与え、瞬く間世界中に広がる、 以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼした。 1900年代中葉 写真機が発明されたことで、それまで芸術家が追い求めていた「リアリズム」では敵わない。絵画にしかできない表現を追い求めることになる。 本展では、アフリカの彫刻などキュビズムの多様な源泉探る「キュビズムの源泉」章が興味深い。 ピカソとブラックがそれらを大胆に解釈しながら、緊密な連携作業によって、全く新しい絵画を発明していく過程が示されていく。 2024年パリオリンピックに合わせ、 ポンピドゥーセンターの大規模改修工事が行われ、 収蔵品が国立西洋美術館へ巡回されました 「THE CUBIST REVOLUTION キュビズム展 美の革命」です。
THE CUBIST REVOLUTION キュビズム展 美の革命 CUBIST 国立西洋美術館0318
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赤坂 一ツ木通り 「白 妙」 暫らくぶりです 続き
「フランク・ロイド・ライト展」を観ようと、パナソニック美術館へ向かったのですが、なんと休館日でした。 ぽっかり空いてしまった時間と空間・どうしようか? いささか思案・・・ しばらく前から気になっていた「白妙」へ向かうことに決めました。 銀座線を赤坂見附で降りて一ツ木通りへ、 こんな時間(いわゆるアイドルタイム?)なのに、並んでいる。 左の列は買い物、右側は2階(喫茶)のお客・・・・ 折角だからと、コーヒータイムをとることにしました。 川越さんの.息子さんと、ユンハンスの行方など等、お伺いしたいことは山ほど。 外には、お客が山ほど・・・・
ユンハンス・ハンギング・クロック 川越 秀三 大先輩 赤坂・一ツ木通り 白妙0318
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ウィリアム・ブーグロー(William Adolphe Bouguereau)1825~1905
ブーグローは1825年、フランス西部の大西洋に面した港町/ラ・ロシェルに生まれた。 19世紀後半フランス美術界のアカデミズム絵画を代表する画家。 画風はアングルなどの新古典主義の流れを汲む伝統的なもので、 官能的な裸婦像、可憐な子どもの像、憂愁を帯びた若い女性の像などに独特の世界を築く。 甘美で耽美的な彼の画風は当時の人々の好みに合ったと見え、生前には彼の名声は非常に高かった。 しかし、20世紀以降、さまざまな絵画革新運動の勃興とともにブーグローの名は次第に忘れられていった。 再評価されるようになるのは20世紀末のことだ。 ブグローは、良い画家である秘訣は「色と線を同じものとして見ること」とコメントしている。 この絵は色がより良い、線がより良いと言うのはナンセンス、なぜなら色が素晴らしく見えるのは線がそう見せているからで、逆もまたそうである。 色は形の「色価(value)」について語る方法であると述べている。 さて、2~4枚目の作品はいずれも銀行家バルトロー二邸宅の装飾として1885年頃製作されたもの。 天井画として製作された「音楽」、白を背景とした神話画「クビドの懲罰」「武器の返却を懇願するクビド」は、 女神と思しき女性たちとクビドを描いている、おそらくクビドは若い娘の恋心を弄んだために罰を受けているのだろうと解説されています。 最後の画像は、ブーグロー54歳の時の自画像。
19世紀フランスのアカデミズム絵画 ウィリアム・ブーグロー 国立西洋美術館0318
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倉俣史朗のデザイン 記憶の中の小宇宙 続き #1
氏のもっともよく知られる代表作「ミス・ブランチ」 アクリル内でバラが宙を浮遊する。 バラの造花が透明アクリルに封入された椅子、 液体状のアクリルを徐々に注ぎながら、造花をピンセットで配置し製作される。 倉俣事務所のデザイナーだった五十嵐 久江さんは、まさにこの瞬間に立ち会われていた。 愛称はテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のヒロイン/ブランチ の名にちなむ。 「ミス・ブランチ」はほとんど手作りに近く高価だった事もあり56脚しか作られなかった。 そしてその数字は彼の享年である。 板ガラスを組み合わせただけの「硝子の椅子」 三保谷ガラスが持ち込んだ、フォトボンドの製作サンプルを見た 氏がヒラメキ、30分でデザインを起こした。 三保谷さんもさすがで、翌日には倉俣事務所に完成品を持ち込んだとの逸話が残る、1976年のことだ。 訊ねてきた友人たちに「硝子の椅子」に座つてもらう。 緊張したその様子を微笑みながら眺めていたそうです。 200㎏の耐荷重試験のスナップもUPしました。 エッジに3㎜のスチールロットを溶接したエキスパンドメタルの椅子。 「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」 アームチァーの形は保持しているが、ほとんどが空気により形づくられた椅子は「存在していながら、存在していない」という哲学的な問いを投げかけてくる。 「重力から解放され、素材の中で多様な軽やかさが現れる時代」 これまでのストイックなデザインから、 解放されたように自由な創造性を獲得していった。 最期の画像は、ヨーゼフ・ホフマンへのオマージュ「ビギン・ザ・ビギン」 オーストリアの建築家、ヨーゼフ・ホフマンが1920年代にデザインした「№811」にスチールの平棒を巻き付け、 ガソリンを撒いて椅子ごと焼き、平棒を椅子状に残した衝撃のアートピース、1985年。 椅子を燃やす時、倉俣はそっと手を合わせたという。 家具デザインについては「自分の思考の原点を確認するための手段」と考え、 180点余りの優れた家具デザインを遺している 日本におけるインテリアデザインの魁です。
記憶の中の小宇宙 倉俣史朗 世田谷美術館0318
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精巧に造りこまれた アレキサンドル・ファルギエール
Alexandre Falguière(アレキサンドル・ファルギエール 1831-1900)はフランスの彫刻家、画家。 フランス南西部の美しい都市、トゥールーズ生まれ。 パリに出て彫刻を学ぶ、 1859年に彫刻部門のローマ賞を受賞 1864年からサロン・ド・パリに出展を始め、 1868年に『タルキシウス、キリスト教殉教者』を出展、名誉メダルを受賞。 この作品は現在はオルセー美術館に収蔵されている。 1878年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲。 78年のパリ万国博覧会では、 有力な6人の彫刻家が選ばれ、 それぞれ六大陸を象徴する像を制作。 ファルギエールはアジアの像を制作。 六大陸の像は現在、オルセー美術館に収蔵されている。 画像の ディアナ(Diana)は、ブロンズ 79.cmh 矢を放ったばかりの弓 三日月の髪飾り 東京富士美術館に収蔵されています。 先日入手したブロンズ胸像のオリジナルです。 肩先に A Falguière のサインが刻み込まれている 精緻な造り込みと、100年余を経て鈍く輝く地肌 小振りながらも迫力と美しさを兼ね備えている。 アレキサンドル・ファルギエールの技量と表現力 時代の逸品です。
ブロンズ胸像 Alexandre Falguière Web auction0318
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「セイコーミュージアム 銀座」
パナソニック汐留美術館の帰り道、銀座へ出ました。 資生堂ギャラリーや GGGギャラリーを巡り帰路に着いたのでしたが、 どうでしょう・・・・ 「セイコーミュージアム 銀座」に行きあたってしまいました。 銀座に移っていることはわかっていたのですが、 コロナ禍の折で、 予約制とか・・・・とかで敬遠していたのでした。 「どうぞ」と云われて、 B1F~5F/ひと回りゆっくり観させて頂きました。 場所がら、インバウンドの入館者が目に付きます。 そのことも有るのでしょう、 和時計の展示構成が充実している。 勿論 過去の歴史・業績を土台にしているのではあるが、 しっかりと未来を見据えているところが素晴らしい。 私は、コレクターとして、興味はどうしても、時計の歴史に偏ってしまう。 以前、東向島の「セイコー時計資料館」で求めたカタログを記載します。
ミュージアム SEIKO GINZA0318
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Bamboo Case carriage clock #2 cc-156
ハンドルアップで20㎝+と、フルサイズのキャレッジクロック。 荷重も2.5㎏あります。 センターセコンドが、快調に時を刻んでいます。 文字盤とサイドパネルには、オリエンタル調のグラフィックに植物と鳥類があしらわれた図柄、 時刻を表示した円環は象牙で、数字は手描きです。 オリエンタルマーケットへ輸出されたのでしょう。 Bamboo Case carriage clock #2
Bamboo Case carriage clock FRANCE 80,000円0318
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円形掛時計では最小のタイプ 3吋木製丸形木地塗 外形5吋 精工舎製
何処が良いかな~と思案していましたが、 寝室のステンドグラスの空間に掛けることにしました。。 外径が15.5㎝と小振りで、円形掛時計では最小のタイプ。 この時計の形態の良さは、 9㎝のフェース径と 厚みの絶妙のバランスから来るのだ思います。 昭和5(1930)年 精工舎カタログ 32P、 No652 3吋木製丸形木地塗 外形5吋 と表記されています 8日巻きのムーブメント 欅の木目が美しい 寄木造り。 本体直径 15.5㎝、 奥行 7.2㎝
hanging clock 精工舎 25000円0318
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マイスター親方の怨念か?
知人のS氏からお譲り頂いたものです。 S氏も 思わぬ経緯で所持していたとのことでした。 パソコンの隣に置き、話しかけているのだが、何も応えてくれない オーク材だろうか、深い飴色が良い味わいだ。 十字に組まれた本体にムーブメントが貫入・組み込まれ、 その周囲を護るかの如く、葡萄の枝葉が覆っている。 墓標のように思われるのだが、皆目わからない なんとも不思議な意匠である。 手持ちの資料を片っ端から調べてみたが、類型さえ見出せない 1880年代後期のもののように思われる。 何れ当時の時計製造は細かく分業されたパーツのセットアップで製品化されていた。 木製のケースは熟練の木工職人の世界だ。 家族を亡くしたマイスター親方の怨念が昇華したもの・・・ 自分と家族を慰めるために彫りだしたもの??・・・想いを巡らす。 最後の画像は、 Black forest に生息すると伝わる精霊: Gnome=ノーム(地中の宝を守る地の精で、しなびた醜い老人姿の小人)を意匠にした shelf clock ca 1900 私の中では、類似のイメージと繋がりましたたので・・・ 図らずも昨晩、 デザイナー仲間の「野井 成正さん追悼展」「NOI Bar」に参加した。 お盆のこの時期、冥界のざわめきが余計に気になる・・・・
shelf clock FRANCE 1880年代 つい最近0318
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精工舎のブリキ枕 角型小判 オルゴール CC - 153
明治4(1908)年の精工舎時計要覧に、 角型小判厚硝子入り 上等エトウ・オルゴールと記載、紹介されています。 加えて、「譜は流行を追い新調子を撰ぶ」とあり、 はやりの曲を撰んでオルゴールにしています。との意でしょでしょう。 何の曲かさっぱり判りませんが、明るく元気に奏でます。 上部の丸窓からは、ガンギ車が律儀に稼働する様子が見える。 前段のJunghans Joker は1975年12月 17.500円、 当欄の精工舎 角型小判は '23年5月 10.000円で購入しました。 何れのアイテムも、100年の齢を超えて尚健在です。 人生100年と言われる時代を魁けているのですね。
ブリキ枕 オルゴール 精工舎 10.000円0318
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E.N.WELCH DROP OCTAGON HANGING CLOCK
E.N.WELCH MANUFACTURING CO.,BRISTOL,CONN. 1864~1903 ウェルチ社は、エリーサ・N・ウェルチによって1864年アメリカ・コネチカット州に設立されました。 ちなみにアメリカの代表的な古時計ブランドを列記すると、アンソニア、ニューヘヴン、ウェルチ、ウオーターベリー、イングラハム、ギルバート、最古の歴史のセス・トーマスの7大メーカーです。 ローズウッド製ケースで、非常に綺麗な木目と艶が良い雰囲気です。 八角部分に白線と振り子室両脇の彫刻と・小振りな振子室のバランスが良く、金彩も美しい。 12インチの文字盤の裏側に 明治11(1878)年の年号が記されています。 サイズ : 66cmh×43㎝w×12 ㎝d 前段でお伝えしましたことですが、 知人に譲り渡したスペースがぽっかり空いてしまい、 聊か寂しい思いをしていましたところ コレクターの定番と思っていた「E.N.WELCH DROP OCTAGON」に、 たまたま web上で巡り合ってしまいました。 館林にお住いの元のご主人は、古時計のオーバーホールも手掛けられる方のようで、 定位置に掛けると、カチコチと軽快に時を刻み始めました。 くつろいだ様子で・・・・我家を気に入ってくれたようで嬉しい。
HANGING CLOCK E.N.WELCH つい最近0318