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Repeating Champleve Enamel Carriage Clock cc- 020 続き
七宝の意匠や文字盤の花飾りや針の形態などがロマンチックで、往時のライフスタイルを偲ばせます。 ムーブメントに E.M & Co.の刻印がある E.M & Co. Maurice(モーリス)は、パリ・シャルロ通り75番地あって 19世紀後半、キャレッジクロックの優秀・重要なメーカーである。 1889年のパリ万博にも出品している。 銀 梨地の文字盤下面に、この七宝の Carriage Clock 由来が刻まれています。 不鮮明で読み取りにくいのですが、 Westeyan-chapele の信徒団から、信徒 Stevinson 夫妻の功績への感謝の贈答品の意が読み取れました。 1894年 Z Barraclough & son paris(当時の銀製品などの名店)で扱われたものです。 銀婚式や、リタイヤメントの 記念品としてのニーズが多かったようですね。 それもやがては、オークションに付されるわけですが・・・・ 鍵を巻くと、コチコチと動き出し、律義に時を打ちます。
Carriage Clock Maurice French circa 1894 SOTHEBY’S LONDON0318
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オーストリア製 Carriage clock 1880年代 silver plate cc-092
シルバーのボデイ全体に、鳥と草花の装飾が彫り込まれて大変こった装飾・重厚感がある。 文字盤にも同様のエッチングとアラビア数字が刻まれています。 上面と裏面にシルバーのホールマークが刻印されている サイズ:135㎜h×80㎜w×75㎜d 時打ち・半打ち 1880年代、オーストリア製と聞けばなる程と納得する。 この時代のウイーンには、志に燃えたアーティストが自在に才能を競うステージが、多く用意されていた。 ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)は、オーストリア系ハプスブルク家の君主により統治された、神聖ローマ帝国内外の領邦国家などの国家群による同君連合である。 成立年はハプスブルク家がオーストリア大公国に加えてハンガリー王国、ボヘミア王国を獲得した1526年とされる。 時計に戻ります、裏蓋の内側に、1885年10月17日、 Earl & Countess of Roseburg(ローズバーグ伯爵) より Lionel B. Cohen 夫人へ 銀婚式のお祝いに贈られた、と記した銘版が付いています。 100年を超えると夫人の栄誉を受け継ぐ者もいなくなってしまうのか・・・ 心静かに、見守ることにします
Carriage clock オーストリア 390.000円0318
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carriage clock-1 その成立ち
キャリッジクロックは、19世紀初頭にフランスで 開発・設計された 旅行・携帯用の時計です。 ある戦闘で部下の将校が時間に遅れ、ナポレオンは手痛い敗北を喫した。 1812年、皇帝ナポレオンの命令を受けた天才時計師:アブラハム・ルイ・ブレゲによって、最初のキャリッジクロックは発明された。 分銅 + 振子の等時性 → ゼンマイを源動力 + 脱進器 → 携帯用の時計(Carriage clock) 爾来、将校たちに携帯用時計として持たせた。 精密さに優れた「将校の時計」として広く普及することになった。 サン・ニコラ・ダリエモント(フランス)にあるアルマン・クアイユの工場では、 1880年から1920年の間に何千ものキャリッジクロックが製造された。 その後キャリッジクロックは、会社(企業)の定年退職者や永年勤続者などへの記念品的な贈り物としての用途も広がりました。 私のコレクションの中にも、ギフトのメモリーが刻まれたキャリッジクロックが何台かあります。 おいおい、ご紹介いたします。
Carriage clock FRANCE0318