雑誌づくりの決定的瞬間  堀内 誠一 続き

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1932年東京生まれ。グラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー、アートディレクター、絵本作家。
1947年 14歳で伊勢丹百貨店に入社。
1955年アド・センター株式会社設立。

堀内がデザインした平凡出版(現マガジンハウス)の雑誌『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』『Olive』は現在もなお、そのロゴが使用されている。
『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。
マガジンハウス社「Hanako」は長女「花子」にちなむ。

1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。
「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。

1968年から翌1969年にかけて澁澤龍彦とともに季刊誌『血と薔薇』を編集。
1974年、フランス・パリ郊外に移り1981年まで居住。

1987年逝去。 享年54歳。

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